住吉史彦のブログ三千日連続更新記念 三夜連続シリーズ「バブル世代のバブル噺」その第二回

グーグルの検索窓に「バブル世代」と入れますと、
バブル世代 使えない
バブル世代 無能
バブル世代 リストラ
バブル世代 あるある
という文字列が並びます。
私を含む、この世代は、どうやら世間からそう診られているようです。トホホなことですね。
ここであらためて正確に書きますと「バブル世代」とは、バブル景気の時期(1987年-1991年)に就職した世代のことを言います。
かく申す私も1988年春の大学卒業ですから、ジャスト・バブル世代です。そして、この春、この世代が卒業30年を迎えました。そう、実は今年は私達の卒業30周年の年なのです。
ですので、ブログ三千日連続更新記念で書くネタとしてちょうど良いと考え、
「バブル世代のバブル噺」を書いてみることにしました。今日は、その第二回です。

さて昭和のバブル経済から30年ですが、日本経済は進歩したでしょうか?今回のシリーズで書きたいのは、そこです。
観望しまするに、今またバブルが湧き起ろうとしていますね。
昭和のバブルが起きたのは、1985年のプラザ合意後の「円高不況」に対処するためでした。当時の日本経済は輸出に依存していたため、円高で輸出産業が大打撃を受け、町工場の倒産が続出していました。それで金融緩和と財政出動も行われました。それがやがて制御不能になって行き、バブルに成りました。
一方、今回のバブルの元は「異次元緩和」ですね。リーマンショックや東日本大震災で痛んだ日本経済を上向かせるため、2013年に始まりました。オリンピックとからめることで建設ラッシュを起こしましたが、肝心の物価を上げることはできていません。
このように2つのバブルは、政策的にスタートした点が似ていますが、昭和のバブルと今回バブルとで違う点を、私は一つ指摘しておきます。
昭和のバブルは浅草にあまり関係がなかったのに対して、今回のバブルは浅草にかなりの影響があるのです。これは実に重要ですよね(笑い)
「観光立国」がスタートしたのは小泉政権のことで、昭和のバブルは、それ以前のことでしたから、金融緩和によって円レートが下がっても、インバウンド観光客はあまり増えませんでした。
しかし、今回は増えました。日本の横に中国という大きい経済が出来たことも、大きな違いですね。だから、今回のバブルは、浅草に関して言えば、「インバウンド・バブル」の様相を呈しているのです。
最近浅草で建設ラッシュが起きています。永く続いたお店さんが店をたたまれて、インバウンド狙いの新手の店が雨後のタケノコのように出来ています。
これを喜ばしいことと思う人もおいでのようです。
しかしですよ、東京のビルを壊して、新しいビルを東京に建てるのって、昭和のバブルとおんなじじゃないですか、ね?
成長する方法って、スクラップ&ビルドしかないんですか、ね?
成長の質って、問われないんですか、ね?
質が下がるのなら、無理に成長しなくても良いんじゃないですか、ね?
地方の、人口減少が続いている土地で、腕のたつシェフが空き家を改装して良い雰囲気のレストランを始めるのなら間違いなく良い成長です。が、浅草の昔懐かしい店を潰して、立ち食いスイーツの店にするのは良い成長ですか、ね?
質が下がるのなら、無理に成長しなくても良いんじゃないですか、ね、皆さん?
<明日の弊ブログに続く>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.999日連続更新を達成しました。三千日連続更新まであと一日です。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)