関西学院
ええーっ、内田監督、日大と関学は大学アメフト界を代表するライバルだったはずなのに、
「関西学院」の読み方をご存知なかったんですかあ!
謝罪に行って、読み間違いは、かなりマズいですねえ。
さて関西人や関西在住経験者にとっては常識ですが、弊ブログの読者は関東人が多いので、念のため記しますと
「関西大学」は「かんさいだいがく」
「関西学院」は「かんせいがくいん」
関学が設立されたのは1889年。当時は「かんさい」と「かんせい」の両方の読みがあり、統一されていませんでした。
「関西学院」は、後ろに「がくいん」と続きますから、「かんせいがくいん」と読んだ方が語感が良いですね。その読みを今日まで変えずにいることに、先駆者としての自負を感じます。
実は「東京」にも「とうきょう」と「とうけい」の二つの読み方がありました。
1872年の浅草猿若町の様子を描いた開化絵
「東京花猿若三櫓繁栄開看図」
の画題の読み方は、
「とうけいのはなさるわかさんやぐらはんえいかいかんのず」
です。この絵は「ちんや」の客室に架けてあります。
読み分け方に明確な基準はなかったらしく、
一応、漢音読みが好きな学派の人たちは、「京」を漢音読みで「けい」と読み、
呉音読みが好きな学派の人たちは、呉音読みで「きょう」と読んだと言われますが、
旧幕時代をしのぶ人の中には「とうけい」派が多かったと言う人もいます。
やがて義務教育が普及し、教科書に「とうきょう」とルビがふられ、それを学んだ人が成人して、ようやく1890年頃までに統一されたようです。
いずれにせよ、それ以前は統一しなくても問題なかったのですから、面白いですね。
今年は明治150年。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.006日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。