歌舞伎町
「料飲三田会」を新宿歌舞伎町の「車屋」さんで開催し、新宿の大先輩から、新宿の昔話しを聞く機会がありました。貴重なお話しでした。
そもそも、なんで「歌舞伎町」というのか?
1945年の東京大空襲で、この辺りも一面焼け野原となりましたが、その時復興事業として、ここに歌舞伎の演舞場を建設し、それを中核として芸能施設を集め、「新東京の最も健全な家庭センターを建設する」という案がまとめられたそうです。その計画担当者の提案により、未だ歌舞伎座が移って来ていないのに、「歌舞伎町」と名を変えたそうです。
それ以前の名は「大久保」。東京府立第五女学校(現在の東京都立富士高校)が在り、学校を取り巻く周囲は閑静な山の手の住宅街で、軍人や高級官僚の邸宅も在ったそうな。
それが空襲を経て、歌舞伎座誘致は失敗、やがて日本最大の魔界に成っていくわけですが、大先輩曰く、その端緒は復興着手のころに既に芽生えていたと言います。
旧住民は、開発を業者に委ねて立ち退いてしまい、その後街のことを省みなくなったため、不良業者が入り込んで来て→跋扈してしまったと言います。
そう言えば、浅草でも店の跡継ぎがいなくて、人に土地を貸す方が少なくありませんが、こういうことを心配しないといけないのかも、と思ってしまいました。
あ、順番が後先になりましたが、「車屋」さんのお料理は、大変力の籠ったもので堪能させたいただきました。ご馳走様でした。
追伸、
拙著が発売になりました。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』
浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。
東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。
四六判240頁
価格:本体1600円+税
978-4-7949-6920-0 C0095
2016年2月25日発売
株式会社晶文社 刊行
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