内藤新宿

『すき焼き思い出ストーリーの本』のイラストを描いてくれた寺坂安里さんが、鶏の「水たき」が有名な新宿「玄海」さんの、店内を飾る絵も描いておいでだとかで、つながりが出来、久しぶりに「玄海」さんを訪ねました。

有名な「水たき」は今でも大変結構なもので、スープは勿論全部飲み干しました。

さて今日は、その時にうかがった話しで、我ながら不勉強だったなと思った件を、ここに書くのですが、

新宿は浅草商人が造ったのだそうです。

へええ。

浅草阿部川町(現在の台東区元浅草三3・4丁目の一部)の名主であった高松喜兵衛など5名の浅草商人が、甲州街道の日本橋高井戸宿間に新しい宿場「内藤新宿」を開設したのは、元禄12年(1699年)のこと。

「内藤」というのは、信濃国高遠藩・内藤家の中屋敷の敷地を使ったから。

「新宿」というのは、元々日本橋 の次の宿場は高井戸で、距離が16kmと長かったため、その中間に作った、新しい宿場だったからです。やがて「内藤」が取れて「新宿」と言われるようになりました。

その後、風紀が乱れて幕府から廃宿処分を受けたり、火事があったり、場所も移動したりと曲折があったようですが、今や新宿は東京を代表する繁華街として知らぬ人はいないと思います。

そういう歴史は新宿区立新宿歴史博物館に行くと学べるとかで、「玄海」のY野社長は新入社員が入ると、必ずそこへ連れて行くそうです。

浅草にもかつて「TEPCO浅草館」というのがあって、浅草の昔のことを学べたのですが、2011年の地震の影響で閉鎖になってしまいました。

元々浅草観光連盟が収集していた本を集めた「浅草文庫」というのがあり、それを東電さんが継承して、展示スペースも設けて「浅草館」を造り、企画展もやったりして、なかなか楽しい場所だったのですが、原発事故で閉鎖。今は蔵書を台東区立図書館が継承しています。

新宿のような博物館がまた出来たら良いなと思います。

 

追伸、

拙著が発売になりました。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.276連続更新を達成しました。

 

 

 

Filed under: 色んな食べ物,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)