襲名披露
市川亀治郎さんが事業継承をなさいました。
というのが、あの話しの全体像です。
香川照之さんが、四十数年に及ぶ肉親の愛憎を乗り越えて、幼い御子息と共に、歌舞伎の世界に飛び込みました、というのは、話しの全体像ではなくて一部です。重要な一部ではありますが、一部ですね。
ここで、歌舞伎の襲名を「事業継承」と書いたのは、勿論それが似ているからです。歌舞伎の座頭の役者さんは、単に芝居をするだけではなく、演出をし、さらに一門のリーダーとして、公私にわたって全体をとりまとめなくてはいけません。営業成績も非常に気になります。
一門のことを「おもだか屋」とか「成田屋」とか「音羽屋」とか言いますが、本当にお店屋さんみたいだと思います。
その、「おもだか屋」というお店の社長に、亀治郎さんが成りました。
キッカケは先代社長(=先代・猿之助さん)の御病気です。残念ながら、歌舞伎界最大の異端児も病いには勝てず、継承は「待った無し」でしたので、傍系親族つまり、先代社長の甥である、亀治郎さんが継承し、猿之助の名を襲名しました。
傍系に行った理由は、先代の女性問題です。
先代の長男である香川さんは、この問題のために歌舞伎界の外に育ち、今回入社するわけですが、そういう次第で、ご自分が直系の長男で亀治郎さんより年長であるのに、相続ができません。まあ、この辺りのことは、さんざんテレビでやっているので、皆さんも、よ~くご存じでしょう。
で、一族の中の実力派・亀治郎さんが、猿之助と成ったわけです。
でも実力派は、亀治郎さんだけはありません。先代は、歌舞伎の門閥に生まれていない、一般家庭出身の子を、たくさん弟子に採り・育てましたので、その中に実力者がたくさんいます。
右近さん、月乃助さんも主役を張った経験がありますから、そうした実力社員を率いる形の新社長は、楽ではないと思います。
加えて、「おもだか屋」さんは、事業の内容がスーパーです。門閥外から採用という人事もスーパーでしたが、それだけではありません。歌舞伎史に残るクリエーター・先代猿之助さんが一から新作した「スーパー歌舞伎」が、メイン商材なのです。
その「スーパー歌舞伎」作品、例えば、今回の襲名興行で上演された「ヤマトタケル」などの作品群を、「古典」と評価されるまで練り上げることが、亀治郎さんの役割となりましょう。
でも、それって大変ですよね。初演の時は、産みのエネルギーが溢れ出る舞台だったわけで、それを自分の眼で観たお客さんが、まだまだ御健在です。再演で、その方々を満足させる演技をする、という課題は尋常ではないと思います。
そうです、この事業継承は、二重にも三重にも大変で、実にハードルが高いです。
なのに、テレビは、この話しの一部分である、香川さんの話しばかりを採り上げています。実に見識のない報道姿勢と思います。
私が亀治郎さんの贔屓だから、そう書くのではありません。多少とも、歌舞伎を観てきた人は、皆、そう嘆いていると思います。また、歌舞伎にさほど詳しくない方でも、御自分が親の会社や店を継いだ経験のある社長さんなら、亀治郎社長の心境を察することが出来ると思います。
私も、亀治郎さん~イヤもう新・猿之助さんですが~にはなんとしても、頑張っていただきたいと思い、「ヤマトタケル」の初日に向かいました。
この日は、浅草料飲組合の親睦会の日でしたが、それを中途でぬけだして、大急ぎで新橋演舞場に着きますと、周辺の路上や客席の後方にも多数のカメラが。
この人達って、本当に「スーパー歌舞伎」と「おもだか屋」の未来を考えて撮っているんだろうか、そう心配になります。
でも結局、舞台は大成功。観客総立ちで初日は終わりました。まずは目出度いです。
「おもだか屋」さんの御繁栄を心より祈念いたします。
追伸①
『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。
この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。
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追伸②
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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて834日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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