江戸趣味の街

 岩下尚史先生の講演を聞きました。

 岩下先生と言うと、最近テレビでユニークな「おじさん」キャラが話題になっているようですが、元々は「新橋演舞場」の企画室にいた方です。

 日本の花柳界の総本山とも言うべき「演舞場」にいた方ですので、花街・料理業界にもとてもお詳しい方で、『芸者論:神々に扮することを忘れた日本人』という御本で第20回和辻哲郎文化賞を受賞されています。

 さて、この日の話しは向嶋花街の歴史に関するお話しでした。

 向嶋は浅草から大変近く、実際私もたまにお世話になっているのですが、そう言えば、歴史の話しを聞いたことがありません。向嶋墨堤組合の公式ホームページにも、いつからどうして花街があるのか、書いていないのです。

 多分、江戸時代からではないだろうな、ということは分かっていました。

 江戸時代に栄えた花街は、今ではなくなってしまった、柳橋と深川です。歌舞伎には深川の「辰巳芸者」が良く登場しますが、向嶋芸者は登場しませんね。

 そのわけが今回の講演で分かりました。

 やはり江戸時代に向嶋に花街はなく、向嶋は、江戸市中の風流人が「雪見」をしに行く所だったようです。雪を見る所ですから、ハッキリ申して「田舎」です。茶店なども、ごく少数だったようです。

 その向嶋に、明治中期に花街=江戸趣味の街が人造的に建設されました。

 東京中心部がどんどん洋風化して行くのを嫌った人々が、江戸趣味を楽しむために、あらたに作ったのが向嶋花街なのだそうです。ちょっと、目からウロコです。

 向嶋を愛したのは、「朝野新聞」の創立者・成島柳北や、文豪・幸田露伴で、こうした人々が移り住むことで、趣味人の街という名声が高まったそうです。

 街の人々も、そういう花街の雰囲気づくりに腐心したそうで、その積み重ねが今日の隆盛につながっているようです。

 昔のものというのは、意識して、相当努力しないと無くなってしまいますよ!

というのが、この日の岩下先生の警告で、まさにそこを皆が認識しないといけません。

 邦楽や日舞に詳しくない私にとっては、かなり耳が痛いお話しでした。

 まあ、その後は、それでも、さんざん飲みましたけどね、当然、向嶋で。

 うーい、ひっく。

追伸①

 『料理通信』6月号に「ちんや」が紹介されています。

 この雑誌に服部幸應先生が連載なさっている、「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーの第37回に、お採り上げいただきました。

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 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて828日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)