「饗応・居留地・牛鍋」講演台本②

 7/3は旧東京音楽学校奏楽堂での、平野正敏さんのコンサートに出演し、食べ物の話し=日本人が、西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のことをお話ししました。

 お運びいただいた皆さんに御礼申し上げます。

 タイトルは「饗応・居留地・牛鍋」にしました。半年がかりで準備しましたので、ブログ読者の皆さんにも、公開しようと思います。

 長いので、3回=3日間に分けて公開しています。今日は、その第二回です。

 以下講演台本です。ご笑覧下さい。

 びっくりしますのは、函館市史にも載っているんですが、1859年には、函館の料理人・重三郎という人が、外国人目当てに料理屋を開く許可を願い出たそうなんです。開港を決めた条約は1858年ですから、その次の年でして、もちろん、まだ江戸時代です。明治維新になる前に、既に、少しずつ西洋料理屋が、居留地の近辺に出来てきたことがわかります。

 さっきの徳川慶喜もはやかったですが、普通の日本人も、実はやることはやかったんだなあ、ということがわかります。「もう一つ、へー」思っていただけば、深甚です。

 ついでに申しますと、東京の築地にも居留地がありました。築地居留地は明治になって、後から出来た居留地なんですが、ここの周囲にできた、西洋風のものの中でも、ひときわ目だった存在は、築地精養軒ホテルでした。言うまでもなく、上野公園の精養軒さんの前身です。この場所からすぐですので、後でお寄りいただくのも一興と思います。

 さて、人の宣伝している場合じゃないですね、本日のテーマ3項目行きます。きょ、きょと来まして、最後は当然、牛です。これを話さないと帰れないもんですから、ワタクシ(笑い)。ここだけはよろしくお願い申し上げます。

 ええ、ここで話しはいったん江戸時代に戻ります。江戸時代も日本人は、「薬食い」と称して、動物の肉を食べていたようでして、「ももんじ屋」と言われる店は、獣の肉を食べさせていたところです。今でも、両国にございますね、「ももんじ屋」さんという屋号の御店が。

 そういう店で食べさせていたのは、イノシシ、シカ、クマ、オオカミ、キツネ、タヌキなどだったようでして、牛と馬を食べることだけは、やはり特別なタブー感があったようです。 馬には乗りますし、牛は農作業で世話になっていましたので、食べにくかったと想像できます。

 このタブー感な感じを知っていただくには、1万円札の、福澤諭吉の「福翁自伝」を読んでいただくと、良いと思います。諭吉が若い頃、緒方洪庵の適塾の書生として学んでいたころ、つまり幕末の1857年ごろに、大阪には、遊郭の近所の、牛鍋屋が2軒あってて、それは定連客が適塾の書生とゴロツキばかり、という「最下等の店」だったと書いてあります。

 このように、昔はゴロツキの食べ物でしたのに明治時代に入りますと、牛を食べることは、タブーから急に文明開化のシンボルになります。それが言わずとしれた、牛鍋であります。

 さて、その食べ方でありますが、基本的には、江戸時代の「ももんじ屋」の食べさせ方と同じで、材料を、イノシシから牛にしただけ、というのが基本形です。ただし、今のすき焼きと違って、鍋に味噌を入れている店が多かったようです。

 最初の頃は、牛をと殺する時の、血抜きの技術が不完全で、また、牛の年齢自体も、今より高齢でしたので、牛肉を煮炊きすると、どうしても臭みがあったようです。そこで、臭み消しに、醗酵食品である、味噌を入れていたようです。

 鍋に入れる具について、もう少しお話ししますが、それぞれの具が、どういう理由で入っているのか、実は、理由がみんな非常にハッキリしています。まず、ネギは硫化アリルで臭み消しプラス食物繊維ですね。次のシラタキはマンナンで、虫下し・整腸作用です。お次の豆腐は蛋白源ということです、それに、豆腐割下がしみると旨いですのでね、そういう理由で入っているわけです。以上がお約束の具です。

 このように、用途が完全に決まっているわけですから、この時代になって急に具が決まったとは思えません。江戸時代には「ももんじや」の伝統的な食べ方が既に確立していて、そこへ具材として牛が導入された、という経緯だと思います。

 このように自然で庶民的な導入方法であったので、記録が乏しいのが、残念でありますが、まずこういう経緯だったろうと、想像がつきます。

 以上、饗応・居留地・牛鍋をキーワードに、日本人が西洋の食べ物に遭遇した時代、幕末から明治時代のお話しでございました。内容は「へー、そうだったんだ」というトリビアな情報を、いくつかお伝えしました。

 今日は、この後、もう一つだけお話ししますが、それは、「なんで、こんなに、日本人は西洋料理や肉料理を導入するのがはやかったの?その理由は何だろう?」ということです。これは、トリビアではございませんで、完全な私の推測ですが、どう推測したか、これから申します。まず最初に1点指摘させていただきたいのは・・・

*まだ続きますが、長いので今日はここまで。続きは明日UPします。本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*なお、このコンサートの模様は、ケーブルテレビ「J:COM台東」でもご覧になれます。(契約されている方のみ視聴可能)

<放送時間>

7月29日(木)、31日(土)、8月3日(火)
 9:20〜、13:20〜、17:20〜、21:20〜

8月1日(日)
 10:00〜、14:00〜、18:00〜、22:00〜

*平野正敏さんについては、こちらです。