納豆と市川海老蔵

 昨日5/10のブログに、ちんやの肉の仕入れ方針について書きましたが、その中に書いてある、「熟成をすると、なぜ肉が旨くなるのか」、が良くわからない、というメールが、「浅草うまいもの会」の、K子会長から届きました。

 そこで熟成すると肉がなぜ旨くなるかの説明ですが、

「熟成すると、牛の体内の酵素の働きで、タンパク質がアミノ酸に変わります。」

「1ヶ月置いておく間に乾燥が進み、相対的に水分が減って、旨味成分が濃縮されます。」

「牛を解体しないで、丸ごと熟成させた方が、乾燥が進むので、解体してパッキングしてから熟成させるより、旨いです。」

 以上がその説明ですが、このご説明でご理解いただけない場合も多いです。先日、雑誌のご取材があって、熟成と肉の旨さについてご質問があったので、上記のようにお答えした時も、そういえば、取材嬢は「?」という感じでした。

  旨さについては、熟成がポイントなのですが、そこがわかりにくいと思う方が多いようです。どうもバケ学用語を口頭で言うと、文系人にはトッツキにくいかもしれません。「そんなことより産地はどこなんですか?」と文系的なことを聞かれると、産地にあまりこだわっていない我々としては、チョッとがっがりしてしまいます。

  そこで! 熟成について、わかりやすく説明する作戦を最近考えついたので、今回のご取材で使ってみました。それは、「熟成させたお肉と、そうでないお肉は、納豆と、生の大豆の違い位の違いがあります。」と例える作戦です。これはわかりやすいようです。

 化学的にも、納豆菌という細菌の作用でタンパク質がアミノ酸に変わるのと、牛の体内の酵素の働きで、タンパク質がアミノ酸に変わるのは、似ていると言えなくもありません。かなりザックリ、ですが。

 以前、「銀座4丁目スエヒロ」のU社長が紹介して下さった、熊本県畜産試験場の先生も、「熟成した肉は、生鮮食品ではなく醗酵食品とみなします。」と言っておいででしたので、あながちハズレた例えでもないでしょう。「納豆と大豆」=「熟成肉と肉」、少し誇張した例えですが、わかりやすいので、まあご勘弁いただいて、使おうと思っています。

 「納豆と大豆」=「熟成肉と肉」 ついでに、もう一つ例えると、「住吉史彦と市川海老蔵」

 おっと、間違えた。最後の例は、完全に同等のケースだった、ですよねえ? 理系の皆さん。 

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

ちんや流個体識別

 このブログの4/27号に農水省安全管理課の「表示・規格指導官」様がノーアポでご来訪。立ち入り査察があったことを書きましたが、これについてブログ読者の方から「なんの検査か、良くわからない」という声が届きました。

 もともと一般の方には、なじみの薄い話しであるのに加え、途中からブログを時代劇仕立てにして、茶化してしまったので、わからなかったかもしれません。

  で、あらためて、何のために、牛に個体識別番号をつけているか、の説明です。それは、もし仮に日本人の誰かが、BSEに罹った場合、どの店で売られた牛か、どの生産者が育てた牛か、当局が追跡して原因追求をしたいのです。追跡能力のことをヨコ文字で、トレーサビリテイーと言うそうです。

 今は全ての牛について、BSEの全頭検査をしていますので、BSEに罹ることは有り得ないですが、念のためのシステムとして、こういうものがあるのです。まあ、当局の原因追求を助けることにはなると思います。ですから、仕入れの帳簿がキチンとしているかが主に検査されます。

  と、いうわけで、肉を売る場合には、店のどこかに、個体識別番号を表示する必要があるのですが、普通のお客様にとって、番号(=数字)そのものは、ほぼ興味の対象外でしょう。そこで、このブログの3/28号に書きました通り、「ちんや」では、昨年の12/10から、個体識別番号の「全組表示」を実施しています。

 番号を、どこか店内の一箇所に集中して表示しておくのでなく、お客様各組ごとに、番号と産地と、それだけでなく、「ちんや」の仕入方針(考え方)も記載した書面をお渡し申しています。お客様から聞かれてから、調べてお答えするのでなく、こちらから積極的に書類を作って、肉と一緒に御席へお持ちすることにしています。

 番号の表示自体は、法律上の義務なのでやめらません。そこで、どうせ表示するなら、その書類上に、お客様が興味を持っていただける情報(=「ちんや」の仕入方針)も入れ込もうじゃないか、そういう作戦です。

  少し長くなりますが、その仕入れ方針を以下に転載します。

■黒毛和種(=黒毛和牛)の、雌牛(メス)のみを選んで使用しています。

 黒毛和種の、メス牛の肉には「和牛香」と言う、甘い独特の風味があり、また「ちんや」の甘めの割下に良くあうので、使用しています。交雑種(=和牛とホルスタインなどの乳牛をかけあわせた牛。店頭では、「国産牛」と表示されている。)は使用いたしません。また牡牛(オス)の去勢牛も使用いたしません。

■充分な肥育期間を経た牛を選びます。また、と殺後の熟成期間も充分とります。

 肥育期間の短い牛は旨味が浅いですので、30ヶ月程度肥育された牛を選んでいます。熟成期間は約1ヶ月間。なるべく骨付きの状態で熟成させます。熟成させることにより、肉のやわらかさと旨味がさらに増していきます。

■ドリップ(血液のしずく)の流出を最小限に抑えています。

 牛肉を成型・カット・盛り付けする時に、ドリップが流れ出る場合がありますが、それは全てが旨味ですので、最小限にするべく、カット方法や肉の保管方法を工夫しています。また、肉が「ちんや」へ納入される以前の段階においても、市場関係者・卸売関係者と連携して、最良の保管方法を採用しています。

  この書類はお持ち帰りいただくようにしています。日付が記入されていますので、ご来店の記念になると、こちらは思っているのですが、どうも観察していると、お持ち帰りになる人は多くないようです。

 自分が食った牛の番号というのは、やはりどうも、殺生した記録のようで、手元に置きたくはないかもしれませんね、仏教徒としては。

  そういえば、2月にお坊さん達のご宴会があった時も、牛の番号の書類を差し上げたっけ。悪いことしたかなあ。 

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 9:25 AM  Comments (0)

触れ太鼓

 5/8は大相撲5月場所(東京場所)の、初日の前日でしたので、「呼び出し衆」の皆さんが、興業の宣伝のため、「ちんや」を訪問して来られました。

 大相撲の「呼び出し衆」は、場所初日の前日に、興業の宣伝(=触れ(ふれ))のために市中を回り要所要所で、初日の取り組み力士名を、独特の朗々とした調子で、読み上げます。

  「相撲は明日が初日じゃぞぇ〜、白鵬に〜は〜、魁皇じゃぞぇ〜」という具合です。

  太鼓をたたきながら市中を巡ることから「触れ太鼓(ふれだいこ)」と通称されています。古くから東京場所のたびに「ちんや」を訪問していただいております。

 「呼び出し衆」の美声を至近の距離で鑑賞できる、大変貴重な機会ですので、居あわせたお客様には、是非にとお勧めして、聞いていただきました。

  最近は、力士の「騒動」ばかりが話題になりますが、取り組みの方も頑張っていただきたいところです。

 相撲と言えば、かなり以前のことですが、ある力士がタニマチ氏と一緒に「ちんや」へやって来て、さんざん大量に肉を食べた挙句、帰り際に、

「今日は、ごっちゃんでした。でも、オレはソース味の方が好みっス。」と大声で言いながら、去って行ったことがありました。

  うーむ、その一言、余に対する果たし状であるか?

  余は、売られた喧嘩は・・・・・買わないこともございます、へへー。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様 — F.Sumiyoshi 9:54 AM  Comments (0)

お目出度い絵

 先日、ある御客様から「なんで、毎回同じ絵がかかっているの?」というご質問がありました。通される部屋は違うのに、かかっている絵が毎回、楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ)の「上野不忍大競馬之図」だとおっしゃるのです。

 ん? そんなことあるかなあ? と思いましたが、偶然ではありませんでした。そのご家族は、お子さんのお誕生日とか、ご両親の結婚記念日とか、そういうお目出度い場合に「ちんや」をご利用いただいていたのですが、それが、絵が同じになった理由です。

  実は、「ちんや」では、予約の段階で、その日の御用向きがお目出度いとわかると、かける絵もなるべく、お目出度い絵にしているのです。「上野不忍大競馬之図」は、絵柄が一番に賑やかで、お目出度い感じなので、それで、そのお客様の場合毎回「競馬之図」になったという次第です。

  ちなみに、カリスマ受け売り師の住吉史彦先生によりますと、この絵は、明治17年に上野不忍池(しのばずのいけ)畔で開催された、天覧競馬会の模様を描いた作品です。明治政府は軍馬改良の為に、競馬を奨励しており、またご自身も乗馬がお好きだった明治天皇は好んで競馬会に行幸されました。優秀馬には「帝室御章典」が授与されましたが、その金額は当時としては、大変高額なものでした。

 「競馬之図」の画面の、天皇陛下が座す楼閣には、日ノ丸の旗がはためき、空には気球も打ち上げられて、盛大な競馬会の様子がわかります。
 なお絵師の楊洲周延(1838〜1912年)は、歌川国周の門人で、美人画に優れ、洋装貴婦人や女学生など、開化期の女性の風俗を描いた作品が多い絵師です。

  「ちんや」が所蔵する、開化絵はネットでごも覧いただけますので、こちらで是非どうぞ。

Filed under: 今日のお客様,困った質問,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:58 AM  Comments (0)

写真の基礎知識

 ミッション社のM社長とカメラのSさんが見えました。お二人は、私の「爆笑名刺」の製作でお世話になった方でして、チョッとした打ち上げ会というわけです。それプラス今回は、真面目な目的もありました。それは、Sさんから私に、「写真の基礎知識」をレクチャーしてもらうことです。

  料理屋は、自分で料理の写真を撮れるか、それが無理なら、写真の基礎知識くらいは持っておいた方が良いと思います。写真を理解するためには、光や色について学習する必要がありますが、それがわかると、店の照明をする際にも、必ず役に立ちます。

  そういうわけで、Sさん、今日はよろしくお願いします、ということで一応は、始まりました。Sさんは自前のライトを持ってきて、いろいろご説明下さいます。しかし、真面目なやりとりはそう長く続かず、「爆笑名刺」の校正版を前に広げ、

 「よくまあ、俺たち、こんなバカバカしいもの造ったねえ」

 「いやあ、この写真撮られた時は恥ずかしくて、鼻血出そうでしたよ」

 「実はね、さらにオカシい案を考えついたんで、また第二段作りましょうよ」とか、そっちの話題で、スッカリ盛り上がってしまいました。

 当然のようにすぐ酒が入りましたが、旨い酒は進みます。やがて話しは完全に、よもやま話し状態となり、「写真の基礎知識」レクチャーは、遥か彼方へ去っていきました。

  終わる直前に、ようやっと写真の話しに戻り、「今度レストラン協会で、写真のテーマの勉強会をやったら、どうだろう」と言い合ったのが、せめてもの真面目さでしょうか。写メに結構いろいろな機能がついていることを教えてもらったのも収穫でした。勉強会をやる時は、その話しをすれば、参加者から喜ばれそうです。

  え? 「爆笑名刺」がいつ出来るのか、早く書けって? 

 いやあ、せっかく、ここまで引っ張ったんだから、そう簡単には教えらえないなあ。

 こ・ん・ど・ネ!

 またこのブログを読みに来てね! ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

  

  

Filed under: 今日のお客様 — F.Sumiyoshi 11:40 AM  Comments (0)

奥州牛

 「ちんや」の「今週の特撰牛」が変わりまして、5/2から「奥州牛」(個体識別番号:08316-25274)をお出ししています。黒毛和種の牝牛で、19年9月生まれですから30ヶ月肥育、と畜は22年3月25日ですから、今が食べ頃です。生産者は、阿部長純牧場さんです。

  データが旨そうなのはわかったけど、そもそも「奥州牛」って何? という方もおいでと思います。疑問はごもっともです。

 そういう方には、たぶん、岩手県の胆沢の牛と言った方がわかりやすいのかもしれません。「平成の大合併」で、奥州市が出来たわけですが、胆沢もその中に入りました。そして水沢地区・衣川地区・金ケ崎地区とともに「奥州牛」という名前に統一して、平成18年に誕生したのが、このブランドです。

 安全な低農薬栽培による、自然にやさしい稲ワラを十分に牛に食べさせ、農家の熟練した飼育技術で、一頭一頭丹念に仕上げることを、セールスポイントにしています。

  ややこしいのは、奥州市の中でも、旧前沢地区は、以前から有名な「前沢牛」ブランドを引き続き使っていることです。つまり、奥州市の牛の内、「前沢牛」でない牛が「奥州牛」となるわけです。

  「大合併」で、さらなる「?」のケースも誕生しています。松阪市に隣接していて、松阪牛の産地に指定されていた町が、津市に編入されてしまったのです。この町は引き続き松阪牛を産出していますので、これにより、津市出身の松阪牛というのが存在するのです。

  行政は合併した方が、能率的かもしれませんが、食べ物は土地に根ざしたものです。野菜などは、100メートル歩いただけで作物の出来が違うという話しを聞きます。牛の場合は野菜ほどではないでしょうが、合併は、ほどほどにしてもらいたいところです。

  お客様との間で、「奥州ってどこですか」「それはですね、平成の大合併がありまして・・・」という応酬をするのも面倒ですし。

 はい、奥州の応酬ってことでゲス。お後がよろしいようで。 「ちんや」亭プチ彦でやんした。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 9:16 AM  Comments (0)

究極の店選び

 今年の連休中は、ご法事のお客様が予約ナシで見えることがあり、チョッと慌ててしまいました。実は「ちんや」では、祝日には目出たいムードを出すため、箸を祝箸にし、箸置は日ノ丸模様の扇型の箸置を使い、コースターも赤いコースターを使っています。だから、ご法事のお客様の時は、普通の(=目出たくない)セッテイングに戻さないといけません。セット直しに少し時間がかかります。

 今年の連休は5連休で、4/30を休めば7連休ですから、まずこの間にご法事はなかろう、と思っていたのですが、そうではなかったようです。不景気で旅行には行かずに墓参りをなさったのか、事情はわかりませんが、読みが外れました。

  そう書いてあるのを読んで、「ちんや」は何か、法事客を獲得するための戦略をたてているに違いない、と思った方がおいでかもしれません。そういうことはありません。特別なことは何もしていません。

 それは、仏様が生前「ちんや」を好きだった⇒法事も「ちんや」で。という自然の流れでご来店いただくのが、ベストと思っているからです。

  もちろん、私も、法事需要を狙って、もう少し上手い集客作戦を練った方が良いのかな?と思ったりしたこともあります。最近、㈱IMCのI社長と進めている、販促作戦でも、実はこの、ご法事の件をチョッと議論しました。(3/15号参照)でも、やはりご法事については、それ専用の販促手法を展開するのでなくて、自然の流れがベストという議論になりましたし、加えて最近、よその店で、そのことを再確認させられる出来事がありました。

  少し前のことになりますが、友人のお父上のお通夜に出かけ、その後流れて、居酒屋で「お浄め」となりました。その時その店の女将さんが、最近、常連さんが亡くなって、その法事を、自分の店でやってもらって、とても感激した、と語って下さいました。こちらが、少し引いてしまう位の調子で熱く語って下さいました。

  やっぱり、そういう気持ちで、ご法事の仕事をお引き受けしないといけないですよね。仏様が生前「ちんや」を好きだった⇒だから法事も「ちんや」で。という自然の流れが最大の販売促進だと、この時あらためて思いました。

  ところで、自分が死んだ後の、法事の食事がどこの店で行われるか、気にしてみたことはありますか?

  私は、もちろん気にしてます。1軒だけを選ぶ、という意味で、法事の店選びは、究極の店選びですが、私の場合、世話になっている店が多すぎて、とても、1軒だけ選べません。

  7〜8回死ねると、好都合なんだけどなあ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

本物に会えるまちー台東区新観光ビジョン

  私の地元・東京都台東区の「新観光ビジョン」が制定され、区の「新観光ビジョン策定委員会専門部会」の委員をしていた、私の許へも届けられました。100ページを越す厚みのある本で、その他に概要版も付いていて、立派です。さしたる貢献もできませんでしたが、本が届くと、ひと仕事させていただいた感慨があります。

  この「ビジョン」の中で、台東区の目標とする姿は、「本物に会えるまち」と表現されています。いわく、

 「本物とは、心が作りだすものである。(中略)台東区には、心がある。だから台東区には、本物がある。台東区は、本物に会えるまちである。」と書かれています。

 行政のつくるペーパーとしては、結構つっこんだモノ言いですが、私はこれで良いのでは、と思っています。専門部会の席上でも、「ほんもの」という、厳密に定義しがたい表現を使って大丈夫なの?というご意見がありましたが、私は「ほんもの」という表現を入れることに賛成いたしました。

  ネット上にはあまり詳しく書けませんが、食べ物の世界には、「贋物」と言って構わないものが横行しています。人々が、「ほんもの」を求めて旅に出る(=観光をする)という風になったら良いな、と思います。いや、このままで行けば、そういう風になるのが必然かもしれません。  

  その時、良心的な職人さんが今でも多数住む台東区は、きっと訪ねてみたい土地の候補の、上位に入ると思います。他の委員の皆さんに、そう申し上げたところ、おおむねご賛同いただけたようでした。

  ところで話しは逸れますが、専門部会の部会長だった、東京工業大学准教授のS先生と雑談をしている中で、奇縁が判明しました。S先生のお父上と、湯島のすき焼き屋「江知勝」さんの先代が、とても親しく、先代の生前は家族ぐるみのおつきあいをしていたので、先生自身何度も「江知勝」のすき焼きを召し上がった、というのです。

  「先代が亡くなってから、かれこれ8年くらいたちますけど、その後女将さんやご家族がお元気か、住吉さん、ご存じですかね?」と先生からお尋ねがあったので、

 ええ、まったくお元気でいらっしゃいますよ。しばらく会っておられないのなら、先生、是非今度一緒に、「江知勝」さんへ食べに行きましょう、ということになりました。

  そう言って、お別れした後、S先生との「江知勝」行きは、まだ実現していませんが、「ビジョン」発表を機に、是非先生をお誘いしないといけません。「ほんもの」を訪ねて「江知勝」へ!

  あ、そうか、「江知勝」さんは文京区だったか。 マズイぞ、それは。

 「ほんもの」に会えるかなあ?  

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*台東区の「新観光ビジョン」については、こちらです。

*「江知勝」さんついては、こちらです。

初夏バージョン

 浅草の街で知りあいに出会うと「今年も、もう三社ですねえ」が挨拶の代わりになっています。それにあわせて料理内容も、春のものから初夏のものに移行します。

 と、いうわけで、変わりザクも変わります。3/6よりスタートした、春バージョンは、たけの子、山うど、長せり の3種盛り合わせでしたが、今回の初夏バージョンは、丸ナス、小松菜、さやえんどう 3種です。

  ナスには、割下が良くしみ込んで、なかなか旨いです。小松菜と、さやえんどうは食感の違いをお楽しみいただけます。さやえんどうは、「さとうさや」という甘味のあるタイプで、さやごと煮て食べられます。

 ナスは味をしみさせたいので、生の状態で盛ってありますが、小松菜と、さやえんどうは一度下茹でしておいて、すき焼き鍋の中で煮て、すぐに食べられるようにしてあります。

 さやえんどうは、やや割下となじみが悪いですが、そのくらいの方がかえって、食感が楽しめます。定番のザクに加えて、初夏の季節感たっぷりの、変わりザクも、お召し上がりいただきたいと思います。

   それにしても、今年は暑くならないなあ。こう涼しいと初夏って感じがしないよなあ。季節感が肌で感じられた方が、こういうメニューが売れるんだけどなあ。

  あ、それって、住吉のせいだっけ、このブログでは。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*変わりザクというメニューを始めた、いきさつについては、このブログの3/7号号をご覧下さい。また4/12号もご覧下さい。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 10:08 AM  Comments (0)

『続すき焼き ものがたり』

 向笠(ムカサ)千恵子先生が突然店に見えました。「電話もしないで急に来てゴメンナサイ、浅草に用事があったもんだから、住吉さんが私の、すき焼きの新連載を読んで下さったかしらと思って・・・」 そりゃ、先生、読みましたよ。読んだどころか、今このブログにそのことを書こうと思っていたところです・・・

 実は、向笠千恵子先生の新連載『続すき焼き ものがたり』が、月刊「百味」誌上にて、5月号より始まり、その第一回が先日届きました。「続」というからには、その前に最初の『すき焼き ものがたり』がありまして、それは平成18年3月から20年4月まで、やはり月刊「百味」誌上に連載されました。

 その当時、平成17年のことですが、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて書いて下さったのが向笠先生でした。それが最初の連載です。

  この連載はその後、加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。そして、平成20年10月15日のことですが、この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、すき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。

 このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのはモッタイない。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。

  その後「すきや連」は順調以上の活動ぶりで、例会を、21年2月に新橋「今朝」さんで、7月に「浅草今半」さんで、10月に湯島「江知勝」さんで、22年3月には横浜の「太田なわのれん」さんで、という具合に続けて開催してきました。毎回50人くらいの方が参加され、定員オーバーでキャンセル待ちが出るくらいの勢いでした。

 また、例会以外にも、21年9月には、「日本記念日協会」に申請して、毎年10月15日を、『すき焼き通の日』として正式に認定してもらいました。また、すき焼き業界の長老を集めて対談してもらい、その対談を月刊「dancyu」22年1月号(プレジデント社発行)に掲載していただきました。「すき焼き劇場」という題の特集記事で、この対談には、私の父(=ちんや会長)も参加させていただきました。また、すき焼きを題にした句会もしました。

 以上が、向笠先生と、「すきや連」と、私の、五年間の「すき焼き物語」です。あっ、と言う間に過ぎたような気がします。

  そんな活動を続けている内、21年の秋頃だったと思いますが、向笠先生が、『すき焼き ものがたり』の続篇を書き、連載したいと言い出されました。この時は、最初の時より嬉しかったような気がします。以前にも増して、さらにすき焼きに興味を持ち、すき焼きのことを書いて下さる、というのは有り難いことです。

  世は不景気ですが、この連載が始まれば、すき焼き業界にも少しは良いこともあるでしょう。調子が良くなってくれば深甚です。

  いいぞ、すき焼き!

  立ち上がれ、すき焼き!

  おっと、「立ち上がれ、すき焼き」じゃあ、どっかの新党と同じだなあ。そんな党名じゃあ、3議席くらいしか獲れないぞ。何か他のを考えなきゃ。

 「うまいもの実現党」とか「開化倶楽部」とか、どうだろう?

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*平凡社新書『すき焼き通』については、こちらです。

*新連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」については、株式会社ビジネス・フォーラムへお問いあわせ下さい。(電話:03-3288-9180)