ビジョンと意識変革

さて、3.11です。

ガレキの処理だけは順調らしく、空撮された更地の映像が、復興の遅れを印象づけてしまっています。

一方で、若くて有能なソーシャル企業家の皆さんが東北の地で企業なさったケースも少なくはない、とかですし、従来は官僚的だった自治体の動き方が、NPOと連携できるようになったりとかのようですし、希望もあるようです。

それでもなお、道は険しいようです。一般社団法人「RCF復興支援チーム」の藤沢烈代表理事が先日「東北復興新聞」に寄せたコメントによりますと、

「最も重要なのは、現地経営者のビジョンであり、意識の変革だ。東北沿岸は旧来より下請けの産業構造だったが、言われたものをつくるだけでなく、誰にいくらで売るかを考える販売戦略が必要だ。自ら「値付けをする」ことでいかに守りから攻めへのビジネスに変革させていけるかが問われている。」

?!

これって日本全体に言われていることと全く同じじゃないですか。

「東北沿岸は」を取り除き、「日本の中小企業は」と置き換えても、この文はごく自然に読めます。

これまで中小企業に対して、ビジョンを持たせて意識を変革するよう促すことが、あまり行われていなかったのですから、地震が来たからと言って、急に出来るようにはなりません。

例えば、日本酒の蔵元さんに対しては「飲んで支援」が行われていて、弊店もささやかながら取り組んでいますが、いつまでも「飲んで支援」というわけにいかず、長期的にはやはり実力で売れないと困ります。衆議院の土産の酒も福島県酒造組合さんが造るそうで、大変良い考えと思いますが、これも「飲んで支援」ですね。

そういう方向に加えて、パリやニューヨークの一流のレストランに酒が採用されるよう頑張っていただきたいところですが、勿論そんなこと、簡単に出来るはずもありません。

補助金を出したらそれが出来るようになる、という種類のことでは全くありませんが、是非取り組んで欲しいところです。

若き東北の起業家さんが、そういう困難な仕事を成し遂げてくれること、それを祈りながら待っています。

「ちんや」さん、「飲んで支援」はもう結構です、と言われる日が来ることを待っています。

あ、個人的には、死ぬまで飲みますけどね。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.467日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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牛肉を扱うお店の店主から見た馬肉の良い点と今後の展望②

桜鍋店「中江」のスタッフの皆さんの食事会を「ちんや」で開きたい、という申込みがあり、在り難くお請けしたのですが、あの御主人のこと、普通に食事をするだけでは収まらないらしく、私に話しをしろ、とおっしゃいます。しかも、

「牛肉を扱うお店の店主から見た馬肉の良い点と今後の展望」について話しをしろ!というムタイなことをおっしゃいます。私が渋っていると、

「先入観や感情丸出しで大いに脱線したお話を!」とのこと。

そういうことならガッテン招致、いや招致するのはオリンピックでしたな、ガッテン承知仕りました。

「先入観」=それを大いに話題にしましょう。

馬肉と牛肉の栄養学的な比較とか、これまで嫌というほど聞かされてきた、ツマンない話しをする気は、私はモートー無いですからね。

そう、肉食の話しを、時代を遡って致します。そういう話しをする時は、当然先入観や偏見についても触れないといけないから丁度良いですな。上等です。覚悟してお聞き下さい・・・

<と、いうことで昨日から始まりました、この話しは長いので2回に分けてUPしています。まず昨日の弊ブログをお読みいただき、その後で、この下(↓)をお読みください。>

さて、やっと馬の話しです。この頃=つまり明治時代に馬はどうなっていたのでしょう。牛同様に熱心に飼育されるようになりますが、目的は違います。軍用馬として育てられるようになったのです。

この絵を見て下さい。『上野不忍大競馬之図』という明治17年(1884年)の絵です。上野の不忍池の周りに競馬場が設けられて、そこで開催された競馬会に明治天皇が親臨なさっています。

陛下は馬に大金を賭けていて、その結果が気になって見に来たんじゃあないですよ。明治政府は軍馬改良の為に競馬を奨励していて、この競馬会も、その一環なんです。

陛下自身も馬術が大変お好きで、毎日馬を乗りまわしていた時期もあるそうです。

もともと陛下は京都のお公卿さんですから、牛車(ぎっしゃ)に曳かれて移動するのが本来なのですが、帝国主義華やかな、この時代にあっては、牛をやめて馬に切り替えてしまったのです。

お分かりですね、当時馬は強い軍隊の象徴であり、皇室の栄光の象徴だったのです。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだ人もおいでと思いますが、主人公の秋山大将は騎兵隊の司令官でしたね。日本の騎兵隊を一から育て上げ、ロシアのコサック騎兵と闘った秋山大将が、この時代のシンボルだったのです。

馬肉が、栄養学的には大変優れたものなのに、食卓の主役の座を牛に譲った理由・譲った時代背景は、これです。是非理解しておきましょう。勿論牛の方が飼い易いという事情もあったと思いますが、馬は皇室と軍隊のイメージだから、食べにくかったんです。

ここで強調したいのは、まさに、この時代に「中江」さんは馬肉料理を始めた、ということです。

そこを押さえておくと共に、そんな中でも馬肉を売ろうと試みた中江さんの意志の強さに思いを致さないといけません。

そして、さらに申し上げますが、そこを理解することは現代社会に於いても深い意義が在ると思います。

今時は獣の命を戴く、ということにリアリテイーが無さすぎます。スーパーに行くとスライス済みの肉しか売ってないですからね。

思いまするに、食事の前に「いただきます」と唱えることは日本人の精神の神髄であって、実は私は、このItadaki-masと Gochiso-samaを是非世界語にしようと思っております。これからオリンピックまでに、それをやろう!と思っています。

Itadaki-masと Gochiso-samaという言葉の裏にある日本人の思想を英語で解説した小冊子を作りまして、料理屋に見えた外人さんがそれを上手に唱えたら、冊子の裏に記念のスタンプを押す、という企画を考えています。「中江」さんにもご協力いただきたいのですが、まあ、その話しはさて置きましょう。

生き物の命を戴くことへの恐れと神聖な気持ちが失われましたら、食の大切さということも理解しにくくなりましょう。

そして、それを体感し易い店が、皆さんの御店です。

牛より食べにくく、猪や熊よりも食べにくい馬を食べさせることの意義は、現代社会においては、ますます高まるものと考えます。

日々の業務に精励されますよう。

追伸、

2/24にインターネットラジオ局CROSSWAVE☆SENJUの番組「ビジネスチャンネル~この人に聞きたい」に出演させていただきました。

過去の放送は、こちらのURLで聞けますので、よろしかったら、是非。

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牛肉を扱うお店の店主から見た馬肉の良い点と今後の展望①

桜鍋店「中江」のスタッフの皆さんの食事会を「ちんや」で開きたい、という申込みがあり、在り難くお請けしたのですが、あの御主人のこと、普通に食事をするだけでは収まらないらしく、私に話しをしろ、とおっしゃいます。しかも、

「牛肉を扱うお店の店主から見た馬肉の良い点と今後の展望」について話しをしろ!というムタイなことをおっしゃいます。私が渋っていると、

「先入観や感情丸出しで大いに脱線したお話を!」とのこと。

そういうことならガッテン招致、いや招致するのはオリンピックでしたな、ガッテン承知仕りました。

「先入観」=それを大いに話題にしましょう。

馬肉と牛肉の栄養学的な比較とか、これまで嫌というほど聞かされてきた、ツマンない話しをする気は、私はモートー無いですからね。

そう、肉食の話しを、時代を遡って致します。そういう話しをする時は、当然先入観や偏見についても触れないといけないから丁度良いですな。上等です。覚悟してお聞き下さい。

さてさて、やっと本題に入ります。

近代以前の日本では、牛も馬も役用動物でした。農作業などに使っていました。

ですので、それを食すことは当然タブーとされましたが、廃用となった牛・馬の肉を食すことは、実際は半ば非公然的に行われていました。

肉は貴重なタンパク源・栄養源ですから、滋養強壮のために食べたわけです。

タブーな感じは猪や熊を食べる時より強かったと思います。猪や熊や害獣ですが、牛・馬は生前可愛がられていましたからね。7世紀に天武天皇が肉食を禁止した時も、鹿と猪は禁じられていませんでした。

食べていた場所は「ももんじ屋」という料理屋です。百獣と書いて「ももんじ」と読みます。今でも両国に1718年ご創業の「ももんじや」という屋号の御店が在りますが、あの御店は江戸時代の「ももんじ屋」の生き残りですね。食べに行ったことが無い方は、是非行っていただきたいと思います。

もっとも、現在の「ももんじや」さんでは牛・馬はやっていません。しかし江戸時代は猪や熊と同様に食べられていました。この時代、牛と馬の食べられ方に、大きな違いがなかったことに注目して下さい。

勿論物量的には、東日本と南九州は馬、西日本は牛が中心でした。

では、何故現在牛や馬を出していないか、ここで想像してみましょう。

牛が無いのは、おそらくは明治時代になって登場した牛鍋屋にお株を奪われたからでしょう。

御一新後、日本は西洋をまねて公然と牛を食べ始めます。東京郊外の今里村という所に、近代的な牛の屠殺場が出来まして、そこの肉は近代的で上等ですから、その屠殺場から仕入れた牛を使う牛鍋屋は屋号に「今」の字を付けました。「今半」さんや新橋の「今朝」さんが、それです。

近代的で上等な肉であることをPRするために「今」の文字を入れたのです。

こうなると旧式な「ももんじ屋」は旗色が悪いですね。その後猪や熊といったジビエに特化していったのは当然の成り行きと思います。

さて、やっと馬の話しです。この頃=つまり明治時代に馬はどうなっていたのでしょう。

<この話しは長いので2回に分けてUPします。続きは明日の弊ブログで。>

追伸、

2/24にインターネットラジオ局CROSSWAVE☆SENJUの番組「ビジネスチャンネル~この人に聞きたい」に出演させていただきました。

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開催しました~第17回「すきや連」

第17回「すきや連」を開催しました。

今回の会場は明治2年ご創業の、京の老舗「モリタ屋」さん。今回も50人以上の、全国のすき焼き関係者が集結して大盛況でした。

まずは、参加者の皆さんが書いて下さった寄せ書きをご覧ください。

・ミラノ万博、東京オリンピックですき焼きをアピールしましょう。

(向笠千恵子)

・やっぱりスキヤキが一番でしょ!(山田保)

・「旨味全開!」(村山忠彦)

<牛の絵>(須田菁華)

・一期一会、一鍋一愛(三嶌太郎)

・すきや連の皆様いつも感謝感謝。(柴田進吉)

・すき焼き京野菜美味しいです。モリタ屋さんありがとうございます!

(柴田伸太郎)

・すきや連のおかげで京野菜を学ぶことができました。(大竹道茂)

・お肉の厚みは美味しさ深いです。甘みも優しくやっぱり京都のすき焼きおいしかったです。モリタ屋さんありがとうございます。(羽鳥裕子)

・私がすき焼き好きなのは親父ゆずりです。(黒田誠)

・すき焼きだいすき下仁田ねぎとともに食せばもっとすき(島崎進)

・うちの店熊本すき焼き加茂川創業者のルーツの京都に参りました。大変美味しくいただきました。(山下みき)

・鴨川のほとりで頂くすきやき、モリタ屋さん最高です!!(荒井順子)

・初参加のすきや連!モリタ屋さんおいしいお料理ありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。(荒井亮一)

・川のほとりで頂くすき焼き、モリタ屋さんの心意気を味あわせていただきました。(加藤英子)

・京都の夜鴨川すき焼きありがとう。(相沢二郎)

・ざらめの香ばしい♪お肉京野菜感激しました。ごちそうさまです!

(相沢ヒロミ)

・京都のすき焼きを堪能させていただきました。ありがとうございます。

(高岡修一)

・とてもおいしくいただきました。ぜひまた参加させていただきます。ありがとうございます。(星南子)

・すき焼き最高!ありがとうございました。(西居基晴)

・昨年はお世話になりました。明治二年の創業同士頑張って行きましょう。(宮本尚樹)

・食のレジェンドSUKIYAKI世界へ羽ばたけ!本日は大変勉強になりました。(宮本美希)

・何時もありがとう!すきやきモリタ屋さん(小林甲児)

・モリタ屋さんのすきやきおいしかったです。シメのうどん最高!ありがとうございました。(小林由佳)

・この夏鴨川のゆかですき焼きを食べることを目標とします。(鳥山渉)

・迫力とやさしさ楽しめるモリタ屋さん すき焼きは幸せな時間が流れます。すき焼最高!!(高岡慎一郎)

・田中さん、吉岡さん、女将さん、すき焼は人が作って嬉しい食卓 鍋ではなやぐ鴨川の京の夜は明けません。(高岡哲郎)

・京野菜の話しききモリタ屋様のすきやき感謝(和田政司)

・鴨川の流れを見ながら頂く京都のすき焼最高です。(藤森朗)

・かもがわで育つ京野菜京都肉(近田康ニ)

・京都肉京野菜美味しかったです!黒毛和牛最高(吉澤直樹)

・鴨川をながめつつ食すすき焼最高です!(吉澤裕介)

・京都肉美味でございました。吉澤教授よりお肉の話しいろいろ聞けて楽しいすき焼きタイムを過ごせました。ごちそうさま。(清水祐子)

・あの人の言葉思い出す夕焼けの高瀬川 京都慕情ありがとうございます。(梅田雄一)

・鴨川を横に京都肉を食す。さすが京都を代表するモリタ屋さん。京都のすき焼きを堪能させていただきました。美味しかったです。ごちそうさまでした!(鈴木拓将)

・スキ焼きが増々スキになりました。これから子供に会いに行きます。(静朋人)

・いつの日か京都で鹿児島の黒豚を食べるすきや連を見たいです。

(米増昭尚)

・美味しい食事を笑顔で出来る事は幸せです。本日は美味しいすきやきありがとうございます。(永野治子)

・人の出会い、肉の出会い、すき焼きありがとう(大西克彦)

<寄せ書きは以上です。今回大変お世話になった「モリタ屋」の吉岡社長、本当にありがとうございました。御礼申し上げます。>

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他力本願

オリンピックで浅草は忙しいんでしょ!

と最近言われます。

???

オリンピックをやっていたのはロシアの措置ですよ、いや、ソチですよ。東京なら、たしか6年後です。

他所の方々から見れば、たしかに浅草は他力本願で潤っているように見えるかもしれません。

思いおこしますと、

ワールドカップが来る!

つくばエクスプレスが開業する!

スカイツリーが出来る!

と、なんだかんだ3~4年おきにイベントごとがあって、浅草はそのたびにひと騒ぎしてきました。ですので、

○○で浅草は忙しい、と見えるかもしれません。

浅草の人達が頑張っているから忙しい、と言われることは、ほぼないのですが、まあ、仕方ないでしょう。

しかしながら当の本人が、

○○でウチの店は忙しい、を目指したら、勿論ダメですよね。

当然ながら商いは自力本願です。

忙しい理由が自分の中に在るように、

オリンピックが来ようが、ビッグバンが来ようが、そこを忘れないようにしたいものです。

追伸、

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本郷の洋菓子店

ふーん、なるほど、面白いやり方ですね。

本郷の洋菓子店「ジャンヌトロワ」さんのホームページの作り方のことです。

表紙の下の方に「ツイート」という欄がありまして、この御店や商品について書かれたツイートが表示されているのです。

ツイッター上で自動的にキーワード検索をして、関係のあるツイートが見つかったら、そのままここへ流し込んでいるのです。

・・・と書けるのは、その設計をした人を私が知っているからで、実は「ちんや」がウエブ関係でお世話になっているIMCさんです。

「ジャンヌトロワ」のスタッフさんに、ネットをいじる時間があまり無い中で、なんとか動きのあるサイトにしようと思案した結果が、これなのだそうです。

なかなか上手くいっています。

「お、お、おいしそ〜!」

「ちなみに私は、本郷のジャンヌトロワってとこのが好きです~」

とかいう一般人のツイートが並んでいて、下手な宣伝文句より紅梅をそそります、いや、購買をそそりますね。

勿論、どの店もこの方法を使えるわけではないです。

まず絶対的な客数・知名度がないとダメです。全然ツイートが来ないと盛り下がりますからね。

その点、「ジャンヌトロワ」さんは、本郷の老舗和菓子「三原堂」さんが経営母体の御店ですから、既に手堅い常連さんを獲得しているのだそうです。

それから商品力に自信がないとダメです。

だって、そのままここへ流し込むわけですから批判も表示されます。

商品はすべてが手作りで、専門の職人が1本1本熟練の技で作り上げる、という自信の成せる技でもあるわけです。大変結構なことです。

それなら、「ちんや」でもやってみれば って?

それがですねえ、

「ともちんや、のりぴーや・・・」

というような人のあだ名の「・・・ちんや」が引っかってしまって、たぶん上手くいかなさそうです。

ザンネン。

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ぷくぷく、お肉

『ぷくぷく、お肉』という本を読みました。

この御本は随筆集で、色んな作家さんが書いた、32篇の「肉」にまつわる随筆が集められています。

すき焼き、ステーキ、焼き肉、とんかつ、焼き鳥・・・

「古今の作家たちが「肉」について筆をふるう随筆アンソロジー」という触れ込みです。

なんでも「おいしい文藝」第1弾だとかで、出版社はこれをシリーズ化したいようです。

勿論すき焼きの話しだけではないのですが、冒頭はすき焼き。

阿川佐和子「スキヤキスキスキ」

開高健「エラクなりたかったら独身だ、スキヤキだ」

古川緑波「牛鍋からすき焼きへ」

山田太一「すき焼きの記憶」

村上春樹「すき焼きが好き」

すき焼き以外では、

赤瀬川原平「ビフテキ委員会」

馳星周「世界一のステーキ」

向田邦子「味噌カツ」

檀一雄「ビーフ・シチュー!」

・・・といった顔ぶれです。

さて山田太一さんの小説『異人たちとの夏』の、重要な場面設定が「雷門のすき焼き屋」であることは比較的有名かと思います。

今回の本の中で太一先生は、その場面設定が是非そうであらねばならないかった理由について書いておられます。幼少期の御本人の体験がそうさせたのです。

主人公は夏に幽霊と会うというのに、それでも「雷門のすき焼き屋」なのです。

「雷門のすき焼き屋」としては在り難い限りですね。

一方、読んで実に面白く勉強になったのは、古川緑波の「牛鍋からすき焼きへ」。

明治末期の、すき焼きがまだ牛鍋と言われていた頃から、緑波は色々な牛鍋屋を食べ歩いていて、どの店がいつ頃どんな食べ方だったかをハッキリと記憶しています。

頻繁に来てくれたわけではないようですが、「ちんや」も出て来ます。

実に色々な店が在ったようです。

四谷の「三河屋」=肉に割り下が最初からかけてあった。卵は無し。

新橋の「うつぼ」=肉がブツ切り、味噌煮込み。

両方とも今は無い店ですが、生気と猥雑感が溢れる、往時の牛鍋屋の雰囲気が分かって、実に面白い1篇でした。

追伸、

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野菜を最高に美味く食べられるすき焼き

近江八幡の有名なすき焼き店「毛利志満(もりしま)」の御主人が食べに来て下さいました。

日本橋高島屋で「近江展」が開かれ、そこに出店するために上京されたようです。

肉は勿論私の考える旨いものを支度しましたが、そうは言っても日頃近江牛の上等なものに慣れている方ですから、ザクの方でも工夫しないと!と考え、少し捻ってみることにしました。

ちょうど「今月の変わりザク」として下仁田葱をやっていましたので、これをお出しました。関西との葱の違いを味わっていただく計画です。

それから春菊の代わりにチンゲンサイ。勿論「チンヤ」の駄洒落です。

そうしましたら、

「毛利志満」では、野菜を最高に美味く食べられるすき焼きを目指しているんです!

と御主人。

ほおお、なるほど、素晴らしい考え方ですね。

さて、食べに来ていただいたら、こちらも返しに行かないといけませんから、高島屋の「近江展」へ。イートインのコーナーで「牛肉重」を美味しくいただいて来ました。

デパートのイートインですから、調理しているところが見えませんが、関西風にしっかり甘く味付けされていて嬉しくなりました。

「近江展」には、彦根の、やはりすき焼き屋さんで「すきや連」メンバーの「千成亭」さんも出店しておいで、専務さんが現場に見えていました。

『BRUTUS』に出ていた「近江牛かのこハンバーグ」を見つけましたので、購入して帰ってまいりました。

会場全体もなかなか盛況で結構なことでした。

すき焼き屋どうしの交流も、なかなか楽しいものです。

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経理の最高峰

料飲三田会の新年会が人形町の「濱田家」さんで開催されました。言わずと知れた日本料理の最高峰です。

最高峰ですから美味しかったのは申すまでもないのですが、感心してしまったのは経理の段取りです。

私は会の会計係ですから、皆さんから会費を徴収して、御店に支払うのが仕事ですが、ということはどういう状態になるかと申しますと、宴会の最中私が大金を持っている、という状態になります。料亭さんでの会合ともなれば、さらに大金です。

毎回金のことが気になってさんざん飲めないのが辛いところなのですが、「濱田家」さんは、それを気にして下さり、座敷まで担当の方が集金に来て下さったのです。

お店の側にとっても、終宴後に金を数えるより先に数えてしまった方が、残業しなくて済みますから塩梅が良いですね。

集金に座敷に出向く、その一点だけ思い切れば、双方がハッピーで実に良い方法です。

しかも、そのタイミングも結構でした。会合にはどうしても遅刻して来る方がいるので、全員揃わないとお金も揃いませんが、全員揃ったのを確認した上で、私の席にやって来ました。

GJ!

その後は芸者衆のお酌で楽しく酔えました。

感心した経理の段取りはさらに。

終宴後、たまにしか来ない芳町ですし、芸者衆も一時の衰退から盛り返そうと頑張っているので、こちらも意気に感じて散財を決行することになりました。

つまりは「アフター」。

こちらも楽しかったですが、会計の私の仕事はこれでまた増えます。芸者衆の花代を、粋な先輩方に請求しないといけません。

いったん「濱田家」さんからウチに全員分の請求書を送ってもらい、先輩方にはウチから発送することにしました。配分の根拠を書いた紙を封入しないといけないからです。

その段取りを経理の人に伝えましたら、「濱田家」さんのオリジナル封筒が人数分付いて送られてきました。この封筒をお使い下さい、というわけです。

GJ!

流石ですね。勉強になりました。

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江戸時代における狆飼育について

貴重な書物を、学者さんや図書館に売るということを仕事にしている同期生から連絡がありました。

『江戸時代における狆飼育について』という論文が在るそうだよ!

しかも書いた人は台東区役所に在籍したことがあるそうだ!

論文を書かれたのは、赤堀由佳さんという方なのですが、成城大学文学研究科に在籍していた頃、その論文を発表されたのだそうで、成城大学で発行している『常民文化』という本の第30号(2007年)に掲載されていました。

親切にも同期生は営業先の、その学者さんの所で、論文のコピーを入手してくれました。

拝読しまして、狆の飼育について詳しいことを私は分からないのですが、江戸時代中期には狆の等級が8段階もあって、高度なブリーデイングが行われていたこと、狆のブリーデイングの中心はどうやら浅草だったことなどが分かりました。

十代将軍家治の子・大納言家基が浅草へ狆を見に来たこともあったそうです。

それから、そもそも当時狆は犬というカテゴリーに入らない、別の生き物として捉えられていたそうです。で、小鳥(=観賞用の綺麗な鳥)を売る店で狆を売ることもあったとか。

へええ、ですね。勉強になりました。ありがとうございます。

それから「台東区役所に在籍したことがある」件ですが、私は存じ上げなかったので、日頃「台東区アートアドバイザー会議」の御世話をしてくれている、区役所文化振興課に尋ねてみることにしました。

そうしましたら、台東区役所の職員という話しは誤りで足立区役所でした。「江戸時代の動物の研究という、珍しい研究している方」ということで、赤堀さんのことを台東区役所の人が知っていて、

足立区ですよ、と連絡を下さいました。聞いてみるもんです。

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