牛肉を扱うお店の店主から見た馬肉の良い点と今後の展望①
桜鍋店「中江」のスタッフの皆さんの食事会を「ちんや」で開きたい、という申込みがあり、在り難くお請けしたのですが、あの御主人のこと、普通に食事をするだけでは収まらないらしく、私に話しをしろ、とおっしゃいます。しかも、
「牛肉を扱うお店の店主から見た馬肉の良い点と今後の展望」について話しをしろ!というムタイなことをおっしゃいます。私が渋っていると、
「先入観や感情丸出しで大いに脱線したお話を!」とのこと。
そういうことならガッテン招致、いや招致するのはオリンピックでしたな、ガッテン承知仕りました。
「先入観」=それを大いに話題にしましょう。
馬肉と牛肉の栄養学的な比較とか、これまで嫌というほど聞かされてきた、ツマンない話しをする気は、私はモートー無いですからね。
そう、肉食の話しを、時代を遡って致します。そういう話しをする時は、当然先入観や偏見についても触れないといけないから丁度良いですな。上等です。覚悟してお聞き下さい。
さてさて、やっと本題に入ります。
近代以前の日本では、牛も馬も役用動物でした。農作業などに使っていました。
ですので、それを食すことは当然タブーとされましたが、廃用となった牛・馬の肉を食すことは、実際は半ば非公然的に行われていました。
肉は貴重なタンパク源・栄養源ですから、滋養強壮のために食べたわけです。
タブーな感じは猪や熊を食べる時より強かったと思います。猪や熊や害獣ですが、牛・馬は生前可愛がられていましたからね。7世紀に天武天皇が肉食を禁止した時も、鹿と猪は禁じられていませんでした。
食べていた場所は「ももんじ屋」という料理屋です。百獣と書いて「ももんじ」と読みます。今でも両国に1718年ご創業の「ももんじや」という屋号の御店が在りますが、あの御店は江戸時代の「ももんじ屋」の生き残りですね。食べに行ったことが無い方は、是非行っていただきたいと思います。
もっとも、現在の「ももんじや」さんでは牛・馬はやっていません。しかし江戸時代は猪や熊と同様に食べられていました。この時代、牛と馬の食べられ方に、大きな違いがなかったことに注目して下さい。
勿論物量的には、東日本と南九州は馬、西日本は牛が中心でした。
では、何故現在牛や馬を出していないか、ここで想像してみましょう。
牛が無いのは、おそらくは明治時代になって登場した牛鍋屋にお株を奪われたからでしょう。
御一新後、日本は西洋をまねて公然と牛を食べ始めます。東京郊外の今里村という所に、近代的な牛の屠殺場が出来まして、そこの肉は近代的で上等ですから、その屠殺場から仕入れた牛を使う牛鍋屋は屋号に「今」の字を付けました。「今半」さんや新橋の「今朝」さんが、それです。
近代的で上等な肉であることをPRするために「今」の文字を入れたのです。
こうなると旧式な「ももんじ屋」は旗色が悪いですね。その後猪や熊といったジビエに特化していったのは当然の成り行きと思います。
さて、やっと馬の話しです。この頃=つまり明治時代に馬はどうなっていたのでしょう。
<この話しは長いので2回に分けてUPします。続きは明日の弊ブログで。>
追伸、
2/24にインターネットラジオ局CROSSWAVE☆SENJUの番組「ビジネスチャンネル~この人に聞きたい」に出演させていただきました。
過去の放送は、こちらのURLで聞けますので、よろしかったら、是非。
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毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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