割烹着
先日先輩に連れられて銀座に遊びに参りましたら、ママさんが割烹着を着ていました。
老舗高級クラブに長年勤めた後、現在の店を独立開業・オーナーに成った、素敵な方です。
おや、今話題の割烹着ですねえ!
とひやかしてみましたが、ママさんは疑惑の研究者と一緒にされるのが面白くないのか、反応が冷ややかでしたので、それ以上割烹着の話しをするのは止めました。
もう一軒の割烹着の店「りけん」は、オボカタさんを割烹着で「演出」したのではないか、という「疑惑」について、
「そのような事実はありません」と全面的に否定したそうですが、どうも、その回答だけが妙に明快だなあと思えてしまいます。
ともあれ、どんな制服にも興味を抱く男はいるもので、蓼食う虫も好きずきですから、「割烹着で演出」の話しは、この位にしておいて、割烹着の歴史について、ここで簡単に見ておきましょう。
さてさて、まずはその起源ですが、「赤堀料理学園」の前身「赤堀割烹教場」の創立者・赤堀峯吉が考案した、という説が有力のようです。峯吉や赤堀菊は日本女子大学校でも日本料理の教師をしていて、その後開設された各地の女子大が、このスタイルを真似たようです。
と、この文も勿論コピペーですが、私が発見したとは一言も書いていませんから、盗用には当りませんよ、悪しからず。
割烹着の話しを続けますが、このように初期の頃には割烹着=イケてるイメージだったはずです。女子大という日本に初めて登場した、近代的でスペシャルな所に通う女性が身に着ける服でしたから、当然、イケてるイメージです。
それがイケてないイメージに決定的に転換したのは、昭和戦前のことで、「国防婦人会」が原因でした。
「国防婦人会」は「国防は台所から」というスローガンを掲げ、出征兵士の見送り、軍人遺族の慰問といった活動をしましたが、そうした活動をする際に着たのが割烹着でした。
「国防婦人」たちは、そうした奉仕の場面だけではなく公式の場にも、どんどん割烹着姿で出席したので、すっかりその格好がトレードマークになった模様です。
戦時中を描いた映画やドラマを見ると、女性が皆揃って割烹着を着ていますが、その理由が、これです。
このように、どんな物も考案された当初は、イケてる存在だった筈なのです。すき焼きもそうです。物の魅力を取り戻すには、考案当初の感覚を取り戻すこと。そうすれば色々な物が、きっと魅力的に現代に蘇ると思います。
出直して欲しいです、オボカタさん。
追伸、
25日は火曜日で通常なら休業日ですが、春休み中ですし、隅田公園の桜も咲きそうですし、臨時営業いたします。行楽のお帰りなどに、どうぞ御利用下さい。
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毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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