群馬、八王子、横浜
八王子について調べています。
そもそも八王子城を築いたのは戦国時代の後北条氏。その八王子城が豊臣秀吉の小田原征伐により落城させられますと、この地方は徳川家康の支配下に入りました。
江戸時代には、江戸を甲州方面から守るための軍事拠点と成り、関東各地の幕府直轄領を支配する代官が駐在しました。ここまでが前史。
八王子が産業都市として発展し始めるのは、幕末から明治維新期です。
日本が開国した後、輸出産業として繊維産業が発展し、特に生糸・絹織物については市内で産するだけでなく、遠くは群馬・秩父や山梨・長野からも八王子へ荷が集まり、この地で纏められて、輸出港である横浜へ送り出されました。
発展が早かったので1917年には、東京府内で東京市に次ぎ2番目に市制が施行されました。
群馬から八王子を経由して横浜へ。
これは明治日本の「絹街道」であり、実は「すき焼き街道」でもあるのです。
平成26年11月の第19回「すきや連」について書いた弊ブログを読まれた方は、群馬県下仁田町が蒟蒻の名産地であることにお気づきになったことと思いますが、現在蒟蒻芋が植えらえている土地には、かつて桑が植えらえていて、繊維産業が衰退した後に蒟蒻芋に転作したのです。
群馬、八王子、横浜。明治時代に繊維産業に関わった土地に、すき焼き屋があり、さらに花柳界があるのは偶然ではありません。
下仁田の花柳界はなくなってしまいましたが、八王子には健在で、すき焼き店「坂福」さんでは芸者衆が呼べます。
3.11の大震災の後なくなってしまった岩手県釜石市の花柳界に伝わっていた「浜唄」を今は縁あって八王子芸者が継承していると聞きます。
八王子~すき焼き信者が巡礼に訪れるべき土地だと思います。
追伸
私・住吉史彦の本が出ました。
題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』
浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。
第五話は「芸どころ浅草の花柳界を支える」(割烹家「一直」六代目 江原仁さん)。対談場所は西浅草の「フラミンゴ」さんです。
四六判240頁
価格:本体1600円+税
978-4-7949-6920-0 C0095
2016年2月25日発売
株式会社晶文社 刊行
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