三人閑談

『三田評論』の「三人閑談」のコーナーに出演させていただくことになりまして、その収録の為、久しぶりに母校へ行ってきました。

三田キャンパスは、夏休みで閑散としていると思いきや、外国人観光客が重要文化財の図書館の前で記念撮影をしていました。げげっ、こんな所まで!と思いつつ、懐かしい校内を歩いて対談場所へ向かいました。

さて『三田評論』は慶應義塾が発行する雑誌です。

当然おかたい議論もする雑誌ですが、その中でも「三人閑談」は緩めの話題をカバーしておりまして、そのテーマに関わっている卒業生が3人で対談します。

8月号は「魅惑のキューバ」

7月号は「辺境を旅する」

6月号は「オペラに行こう!」

私の父・滋夫(「ちんや」五代目)も2008年5月号の同じコーナーに「明治の食卓」というテーマで出させていただいておりまして、二代続けてとは大変在り難いことです。

内容についてくわしいことはネタバレに成ってしまうので、発行されるまで書けないですが、もちろん肉関係です。

10月号に載りますので、9月末にはお読みいただけると思います。

どうぞ、お楽しみに。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.001日連続更新を達成しました。

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洋食思い出ストーリー

平成27年の5月、浅草の街がゴールデン・ウイークで賑やかな頃私の母の転倒事故が頻繁になりました。うちどころが悪い場合は出血する場合があり、病院の外科に何度も世話になる在り様でした。

母が転んだ理由はパーキンソン病でした。

パーキンソン病は、脳内のドーパミン不足を原因とする神経変性疾患の一つですが、治療が困難なことから日本では「特定疾患」つまり難病に指定されています。典型的な症状として、手や足のふるえ・動きの鈍化・筋肉のこわばり・体のバランスの偏りが見られます。

発病から十年ほどで亡くなることが多い病気だそうですが、この頃母もそのステージに入って来たのです。

病気ですから、病院に行かねばなりませんが、ある日診療の為に訪れた日本医大の前で転倒、頭から出血、出勤途上の看護婦さんに案内されて救急救命センターに転がり込みました。センターで怪我の処置だけでなく、ご丁寧にMRIまで撮っていただき実に在り難いことでした。

母と一緒に外食をとったのは、この、救急の日が最後です。

驚かれると思いますが、母は救急治療の後、この日の朝相談した通りに根岸の洋食店「香味屋」さんで昼食を食べたいと言い張ったのでした。

日本医大の在る根津から根岸は近くて、浅草へ帰るルート上に在ることは在るのですが、それにしても大した食への執着です。付き添っていた父はやむなく、その言葉に従ったようでした。

さて母が店にやって来て、待っていた私も嫁も、それからお店の人も驚きました。頭に包帯を巻いていたからです。しかし母は意に介さず、注文をし始めました。

今日は白ワインを飲みたいわ!

この頃には病いの進行とともに母の性格も変容していて、言い出したら極端に強情。ワインを止めることは誰も出来ず、父と私達夫婦はワインのご相伴に預かりました。

やはり病の進行で食事の量も細っていたことから、御店には申し訳ないことながら四人で四人前は頼めず、たしかビーフシチューとメンチカツ、ホタテのソテーを頼んだと思います。

食後に母はバニラアイスまで頼み満足げに店を後にしました。

この日から家族は臨戦体制を敷きました。母を片時も一人に出来なくなったからです。ふらつきながら料理や掃除、洗濯それから趣味の書道をやろうとする母を家族は交代で見守りました。

そんな暮らしがいつまで続くのだろうと思い始めた頃、「その日」は突然やって来ました。

全くもって突然でした。その前日には、頭の傷も少し癒えたことだし、そうだ、また洋食を食べに行こうと母を誘っていたところでした。

母も応じて、そうだね、この前は楽しかったね、また行きたいね!と言っていたのですが、その翌朝母は起き上がれませんでした。全く起き上がらない母を不審に思った父が119番、搬送された病院で極度の低血糖と診断されました。

低血糖に誘発されて心肺機能も低下、十二日間の入院生活の後最終的な死因は肺炎でした。

しかし肺炎という言葉がイメージさせるような激しい闘病はなく、だんだん全身が衰えてきて、上手く申せませんが、体がこの世からの卒業を希望しているように私には見えました。

母が逝ったのは平成二十七年七月九日、浅草寺で「ほおずき市」が開かれている日。七十六歳と一日でした。

 

「四十九日」は遺族が人の死を受け止める為の期間と申しますが、お陰様でその「四十九日」の支度もおおよそ出来ました。

今日たまたまこのブログが連続更新二千日目でありますので、この一文を公表して天国の母に捧げます。

南無観世音菩薩。

 

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やり手

最近浅草に店を出すと、「やり手の社長」と評価されるらしいです。

目ざとく、人の集まっている所に出店する機動性が「やり手」と言われるのでしょう。

そうと私が気づいたのは、とある展覧会のパーテイーで旧知の人が近づいて来て、

住吉さん、住吉さん、知り合いに素晴らしい社長がいましてね、最近浅草に店を出したから今度是非ご紹介したいです!

と言って来たからです。

正直申して友達に不自由はしていないので、始めはぼんやりと聞いていましたが、あまりに

素晴らしい社長なんです!

素晴らしい方なんです!

と連呼するので、どんな店か聞いてみますと・・・

知ってました、その御店。たしかに浅草に在りまして、ご繁盛のようです。

でも、「なんちゃって」なんですよね。

その御店は伝統工芸方面の御店なんですが、商品のマテリアルは勿論のこと、デザインも「なんちゃって」です。「なんちゃって」を通り越して、ふざけているようにすら見えます。

そういう御店が繁盛しているのを見たら、旧来の製法で頑張っている人が嘆くこと間違いないです。

しかしです、伝統工芸がふざけていけないことは勿論なく、むしろ楽しい方が良いです。

いくら拘りがあっても拘り過ぎて、上から目線になってはいけません。

「ちんや」だって、狆を止めて料理屋に成った時は、「なんちゃって」だったに違いありません。浅草は「なんちゃって」を全否定してはいけないと思います。

でもなあ、御店の前を通りかかると、とにかくヘンなので気になります。

「ご紹介」どうしようかなあ。

追伸、

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東京湾クルーズ

大江戸線が開通してから15年だというのに、初めて勝どき駅で降りました。「東都のれん会」の東京湾クルーズに参加するためです。そうしましたら、

うおお、人が多いですな。

ビジネス街の目と鼻の先の場所に在る船着き場にウンカのごとく人が集まって来ます。ほとんどはサラリーマン風。浴衣に着替えたOLさんもいて華やか。

華やかで良いことは良いのですが、船着き場は激込みです。

まあ、船って、この時季しか稼げないので仕方ないところでしょうが、真夏に激込みは辛いですな。

さて激込みの待合で待つことしばし。

やっと船に乗れまして、動き出してしまえば、風を受けて涼しいです。

冷房を持たなかった江戸の町民が船に乗りたがった理由が分かります。

逆に「屋形で宴会」の皆さんは、海上に船を泊めて、窓を閉め切って宴会をしています。お台場近辺などは数メートルおきに船が泊まっています。

なんだかなあ、それじゃあ、陸上の宴会とほぼ同じでは?

陸上と違うのは女子社員が浴衣を着てくれること位でしょうか。

宴会の皆さんを尻目に我が方は、羽田沖まで航走して、発着する飛行機に何度も遭遇。暑さを一時忘れることが出来ました。

ああ、この後地下鉄に乗るのとか、イヤだなあ。

追伸、

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米朝さんのすき焼き

うーん、その番組を視たいのに「関西ローカル」ですかあ。

そこで関西方面のすき焼き愛好家の皆さんにお願いです。録画して送ってくれませんか?!

「その番組」と申しますのは、MBSの「水野真紀の魔法のレストラン」の8/17放送分「あなたの知らない桂米朝の真実」で、米朝さんの思い出のすき焼きをテレビで再現するそうです。報道によりますと、

「MBSは15日、同局のグルメ番組「水野真紀の魔法のレストランR」(関西ローカル、午後7時)の17日放送分で、3月19日に肺炎のため89歳で亡くなった落語家で人間国宝・桂米朝さんが生前愛した味を紹介すると発表した。米朝さんが特に好んで食した「すき焼き」などを取り上げる。」

「番組は「あなたの知らない桂米朝の真実」と題し、米朝さんの長男で落語家の桂米團治や桂ざこば、桂南光が米朝さんの愛した味をたどる内容。兵庫県尼崎市の自宅で、米朝さんが他人に仕切らせなかったという「すき焼き」を堪能しながら、思い出話に花を咲かせる。」

米朝さんは、あらためて紹介するまでもなく、「上方落語中興の祖」と言われた方です。亡くなって忘れられるどころか、紹介される回数がむしろ増えているようにすら見えます。

で、今回は米朝さんがすき焼きを大好きでよく食べていたという話しです。

「好きだった」というだけでなく、米朝さんには「天狗さし」という噺があるらしく、これは大阪のすき焼き屋が、天狗を捕まえてすき焼きにすれば珍しがられて繁盛するだろうと企んだことから始まるドタバタ劇らしいのですが、私は残念なことに未だ見たことがありません。

「天狗さし」はまたいずれ、ということにしますが、

17日19時放送の件、よろしくです。京都、滋賀、奈良、和歌山、兵庫でも映るそうです。

 

追伸、

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お姐キャラ

テレビ番組『誰だって波爛爆笑』の撮影で、岩下尚史先生が「ちんや」に見えました。

岩下先生は最近よくテレビに出ておいでで、伝統文化に詳しいお姐キャラの人として知られているようですが、『芸者論:神々に扮することを忘れた日本人』で第20回和辻哲郎文化賞を獲った作家さんで、国学院大学の客員教授もなさっています。

それ以前に最初、岩下先生は「新橋演舞場」に入社。企画室長として新橋芸者衆の踊りの披露会である「東をどり」などの制作に携わっておられました。

演舞場は今ではほとんどの期間を「松竹」さんが使っていますが、劇場設立の母体は新橋花街の料亭の組合なのです。で、演舞場の社史『新橋と演舞場の七十年』を編纂する課程で、岩下先生は幕末から平成にいたる東京の花柳界のことを調査研究、その成果が『芸者論』に成ったわけです。

ですので岩下先生は、料理屋の組合から拝見しますと、身内の知識人という感じがします。こういう経歴の人が目立つのは良いことと思います。

さて、『波爛爆笑』の撮影ですが、当初弊店はすき焼きを出すだけでOKで私の出番は無しということでしたが、先生から「ちんや」さんにもトークに加わって貰って欲しい!というリクエストが出たとかで、結局マイクを付けられて出演しました。

先生は、共演者のV6三宅健さんを相手に、

アタシ一日に三回着替えるの!

などとお姐トークを御機嫌に展開、たまにその最中に私の方へも話しが振られるので、すき焼きに関することだけ答えればOKと思っていた私は、結構焦ってしまいました。

一方、お若いのに伝統文化が大好きとかで、そういうトークにテンポよく対応して行く三宅さんには感心してしまいました。

ああいうトークが出来ないと、今時のテレビには出られないのですねえ。失礼しました。

追伸、

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プレミアム商品券

名古屋市でプレミアム商品券の行列に並んでいた人が熱中症で倒れたそうでうす。

報道によりますと、

「名古屋市の気温は(中略)この夏一番の暑さ(36・7度)」

「8月1日午前10時から販売を始めた「名古屋でら得!プレミアム商品券」は、1冊1万円で、1万2千円分の買い物ができる。朝から名古屋市内各地の券売窓口では長蛇の列ができていた。」

お具合の悪くなった方には御気の毒様です。

しかしですよ、いったい、この「プレミアム商品券」という愚策は、止められないものなんでしょうか?!全国の、ほぼすべての自治体で発行しているそうですが、まったくもって愚策だと思います。

元々日常的に行われていた買い物が、現金からこの券に移行するだけに決まっています。消費者は不要と思うモノなんて買いませんから。

地元商店街は大して潤わず、財政のみ悪化します。喜ぶのは印刷屋くらいのものでしょう。

こういう愚策が導入される背景として、商いの場で価値を産み出すことが軽視されていることがあると思います。

価値を産み出せば、モノは売れるんですす。さらに言えば、それをしない商いなら⇒やる意味がない位の感覚を、行政の方にも持って欲しいと思います。

・・・ということをたまたま考えていた時に、私の知人が参画している会社さんのことを思い出しました。

その知人は長野県上田市出身ではないのに、今は上田に住んで、上田を「いい感じ」にしようとしています。

その会社さんのことを、私の別ルートの知り合いで長野県諏訪市の旧家のジュニアが注目していて、やはりたまたま飲んでいたら、

「今上田を急速に面白くしている4社の内の1社ですね」と言うので、私は矢鱈と嬉しくなりました。

その会社さんの企業理念は、

地元をいい感じにする“人”と“事業”を増やす。

事業コンセプトは、

地元のモノを地元の外で売って、地元に人を連れて帰る。

で、社名は、

「地元カンパニー」。

上田市に支社をつった時の募集要綱が面白くて、

・「上田市に永住して」と言っているわけではなくて、「2、3年上田で働くのもアリだな」ぐらいの感覚でOKです。

・何をやるんですか?という質問ではなくて、「これがやりたい」という意志をください。

・上田市に住民票を移してもらいます。

自社以外にも、地方企業や地域活性化団体や地域おこし協力隊の都内での採用を支援することを事業にしていて、「若鮭事業」と称しています。

公式サイトには、こうも書かれています・・・

「会社設立当初は、外貨(地域外のお金)を獲得するというところも狙っていたのですが、3年ぐらい事業をやっていると、外貨よりも、まず人ありきだと思うようになりました。面白い人がいるとお金も何とかなります。でも人がいないとお金があっても(あまりないけど)、何も始まらないと痛感しまして、人にフォーカスしています。」

そう、そう、そう、

プレミアム商品券は「金在りき」だから、不毛なんです。

しかもその金は「在りき」ですらなくて、将来世代が返済すべき借金です。

借りる阿呆に、買う阿呆。

同じ阿呆なら買わなきゃ損、損。

あれ、上田の話しの積りが徳島の話しに成っちゃった。どこで間違えたのかな?

 

追伸、

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文豪とすき焼き

すき焼きに関する連載の依頼を頂戴しまして、色々調べています。

その中に「文豪とすき焼き」という御題がありました。

浅草に縁のある文豪と言えば、永井荷風と川端康成ですが、荷風についてはあまりに有名で今更なので川端康成について調べてみましょう。

川端康成は、

・父親の虚弱体質を受け継いだ上、月足らずで生れたため、生育の見込みがないほど病弱で食が細く・・・

・食が細く、しかし食に対してのこだわりは鬼気迫るものがあったそうだ。弁当を食べる時は、一度に食べてしまわずに、箸で4つくらいの筋をつけ、何度かに分けて楽しそうに食べていたという・・・

と書かれています。

しかし、その一方で「食通として名高い」と言われたりしています。山の上ホテル内の天麩羅屋「山の上」には頻繁に行っていたようで、モタレなかったのでしょうか、不思議です。

『浅草紅団』という作品には、

「浅草公園でただ一軒の夜明し店の、あづま総本店で牛鍋の朝飯を食べているうちに、ラヂオ体操の号令が聞えて来た」

というくだりがあります。朝からすき焼きOKだったのですねえ。

また一方の森鴎外には『牛鍋』という短篇があります。

「鍋なべはぐつぐつ煮える。

牛肉の紅くれないは男のすばしこい箸はしで反かえされる。白くなった方が上になる。

斜に薄く切られた、ざくと云う名の葱ねぎは、白い処が段々に黄いろくなって、褐色の汁の中へ沈む。

箸のすばしこい男は、三十前後であろう。晴着らしい印半纏しるしばんてんを着ている。傍そばに折鞄おりかばんが置いてある。

酒を飲んでは肉を反す。肉を反しては酒を飲む。

酒を注いで遣やる女がある。

男と同年位であろう。黒繻子くろじゅすの半衿はんえりの掛かった、縞しまの綿入に、余所行よそゆきの前掛をしている。

女の目は・・・」

という感じで続きます。

しばらくの間鍋を食べる光景が詳細に描写され、突如として、浅草の話しになります。

「浅草公園に何とかいう、動物をいろいろ見せる処がある。名高い狒々ひひのいた近辺に、母と子との猿を一しょに入れてある檻おりがあって、その前には例の輪切わぎりにした薩摩さつまいも芋が置いてある。見物がその芋を竿さおの尖さきに突き刺して檻の格子の前に出すと、猿の母と子との間に悲しい争奪が始まる。」

見せ物の動物がエサを取る様と牛鍋を比較して、人や獣の本性を語ろうとしています。

うーん、文学的。

私のブログのネタには合いませんな。生憎でした。

追伸、

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肉養生

うー、暑いですねえ。

今年も、私は寒暖差蕁麻疹と寒暖差喘息に悩まされています。

皆さんも、バテ気味と存じますから、弊店では、

「肉養生」をテーマに販売促進をさせていただいております。

手前味噌ですが、我が義塾の福沢先生は、

「今我国民肉食を欠いて不摂生を為し、其生力落す者すくなからず。即ち一国の損失なり」

と言っておいでです。

我々日本国民の中には肉を食べないで、体力気力を落としているものが少なくない。これは国の損失である、ということですね。

肉食をしないのは不摂生とまで言ったそうな。

いやいや、まず私から肉養生しないとなあ。

追伸、

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土瓶蒸し

大森海岸の、かつては花街だった一角で明治43年から営業なさっている名店「松乃鮨」さんを訪ねました。

刺身を少し切っていただき、お酒も頂戴し、そろそろ「握り」かな?と思っていると、

住吉さん、土瓶蒸しは要りますか?と大将。

ど、土瓶蒸しですか、今真夏ですけど。

ええ、夏でも土瓶蒸しは出来ますよ。

そ、それはそうですね、ではいただきます。

で、頂戴しますと、美味しいですねえ。

魚系の海の旨味と、山の旨味が合体しますと、1+1=5に成ります。

それに体が温まって良いですね。刺身と握りばかりでは冷えますからね。

固定観念に拘ってはいけないということが良く分かります。

その後の握りも胆嚢させていただきました、いや、堪能させていただきました。

ご馳走様でした。

追伸、

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