貧乏だった話し

すき焼きにまつわる思い出話しを読んでいると、かなりの頻度で、「貧乏だった話し」に行き当たります。

今は年金暮らしだという、この方↓のブログもそうです。

『昔の思い出(4) すき焼きに卵』

著作権を無視してコピペーしますが、

「昭和30年代、私が子供の頃、我が家は2,3人の大学生を対象とする小さな下宿をやっていた。」

「当時は下宿する人は食事付きを希望する人が多かった。貧乏な我が家の食事は当時の他家よりもさらに貧相で、下宿人は表立って不満は言わないまでも、けして満足していないことは子供にもわかっていた。お金に見合う食事になっていないような気がして、肩身の狭い思いをしていた。」

「下宿人が卒業して下宿を出て行くとき、当時の最大のご馳走である、すき焼きをすることになっていた。」

「ある年に例のすき焼きが出てきたとき、なんと小鉢に卵が入っていた。今ではすき焼きを食べるときに、小鉢に卵を入れて、取り上げた肉などを小鉢の卵にまぶしてから食べることが多いが、当時は卵も貴重品であり、貧乏人の子供の私にはとんでもなく贅沢と思えた。」

「普段の貧相な食事で引け目をもっていた僕は、「どうだ、まいったか!すき焼きの上に、卵だぞ!贅沢の上に贅沢だ」と嬉しくなった。いつになく、思いっきり、はしゃいでしまった。」

・・・肉だけでなく卵も贅沢だったという、かなりの「貧乏だった話し」ですが、暗さをあまり感じさせません。

昔は貧乏が恥ずかしいことではなかったですし、成人してからは年金暮らしができるほど掛け金を支払ってきたのだから、おそらく立派な人生だったのでしょう。その自信があるから書ける文章です。

さて、では現在の「貧乏話し」はどうでしょう。

ピケテイさんではありませんが、格差が拡大しつつあることは誰もが感じていると思います。ニュースを視ていても、貧困が原因としか思えない陰惨な事件が多いですね。

今苦しい暮らしをしている方々が、「最大のご馳走」と思えるような食べ物は在るのでしょうか。

残念なことに牛肉はいけません。

アメリカの食肉産業が肉をすっかり安物にしてしまったため、むしろ牛丼は貧困層が日頃世話になる食べ物になってしまいました。なにしろ自分で料理するより安いんですから。

「ちんや」の和牛は、牛は牛でも血統から育て方から熟成のさせ方から全然違うのですけど、特別感が後退したことは否定できません。

あー、なんか、今日は救いのない話しになってきましたね。

このブログは、クスっと笑えるブログを目指してるのにマズいですな。

そこで突然ですが、ジョークを一句。

牛さんが笑いました、ウッシッシ。

食べられた牛さんが、その機会に食べてもらって良かったと笑えるような、そういう社会にしたいものです。

お後が宜しいようで。

 

追伸

『日本のごちそう すき焼き』は、平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.913日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)