昭憲皇太后

<訂正とお詫び>

弊ブログの連続更新日数の計算を誤っていました。

4/14が1.500日と思っておりましたが、4/8に既に1.500日に成っていたようです。訂正いたします。1.500日目を楽しみにして下さっていた皆さん、スミマセン!

<ここから今日のブログです>

今年の4月11日は昭憲皇太后さまの100年祭(=没後100年)だそうで、記念行事や本の出版などが行われるそうです。

明治天皇の皇后、つまりは近代日本で最初のファースト・レデイーだった皇太后さまは、その後の皇室活動の先例となるような、様々な活動をなさったことが知られています。例えば、女学校や日本赤十字社の発展を支援したことなどです。

また生涯に3万首を超える和歌を詠んだことでも知られています。華族女学校の教育指針を詠んだ「金剛石」「水は器」は現在でも学習院女子中等科・高等科で歌い継がれている、と聞きます。

政治に関わることは一貫して避けておられましたが、一番印象的なエピソードは、日露戦争開戦時のエピソードでしょう。

開戦・断交により、駐日ロシア公使ローゼン男爵は帰国することになりましたが、その直前、公使夫人に銀製の花瓶一対を贈られたそうです。

贈り物に添えられた手紙には、

「懇ろにお付き合いをして参りましたけれども、残念なことにこういう結果になりました。しかし女性の情として、このままお別れするのは忍びない。私は行けないので女官を差し向けます。不幸にして戦争になりましたが、また日露の国交がもとに戻ったら、どうか日本に戻って来られ再会いたしましょう。」と書かれていて、

夫人は感泣し言葉もなかったと伝えられています。

また公使一行に対する警護も厳重なもので、その対応に公使は非常に感激、

「これが日本が敵国に尽くした礼儀である。いったい世界の文明は、それ以後進歩しただろうか」と評価したと伝えられています。

とかく明治時代というと富国強兵・帝国主義一辺倒の野蛮な時代と思ってしまいがちですが、そうした時代の最中でも、より良く生きようとした人のことは記憶しておきたいと思います。

追伸

JALさんの機内誌『SKYWARD』の4月号

「JAPAN PROJECT 東京ようこそ、おもてなしの首都へ」に載せていただきました。在り難いことです。ご搭乗のおりにご覧ください。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.503日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)