開園160周年

浅草の遊園地「花やしき」さんが開園160周年を迎え、記念セレモニーを開いたそうです。

そもそも「花やしき」さんは、江戸時代末期の嘉永6年(1853年)に、造園師・森田六三郎が牡丹や菊細工を見せるための、文字通り、花やしきとして開園したのが始まりです。

その後、浅草奥山が流行の地になるにつれ、珍獣・猛獣を飼育・展示する動物園のような施設に変貌、五階建てのランドマークタワー「奥山閣」も建設したりして、なかなか華やかだったようです。

「奥山閣」は最上階に鳳凰を載せていたので「鳳凰閣」とも言われ、「ちんや」が所蔵する開化絵で、その姿を見ることができます。

その後、関東大震災や戦争で一時閉園。戦後の昭和24年に娯楽機メーカー経営の遊園地として再開されました。

いったん経営危機に陥りますが、親会社が変って最近はご盛業です。

今の体制になってからは、「夜間貸し切り」といった、斬新な商売のアイデイアが出て来るようになってきました。

これに目をつけたのが茨城県酒造組合さん。

「夜間貸し切り」で「地酒祭り」を開催したのです。

30社以上の酒蔵が出品し、フードも多少ありまして、園内のそこここで、700人もの人々が酔態を繰り広げる、という催しが、既に2回開催されています。今年の10/11にも、その第3回があるというので、私は非常に楽しみにしています。

「花やしき」さんの、ますますの御盛業を記念します。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.256日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: 憧れの明治時代,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

使いこみ

「すき焼き思い出ストーリー」に、また投稿がありました。

今回の投稿の主は実は私の知人なのですが、彼が「使いこみ」をしたことがあるとは知りませんでした。

衝撃の過去と、最後はチョット泣ける「すき焼き思い出ストーリー」。傑作です。是非お読みください。

<以下本文>

私の祖父は終戦後に兵庫県芦屋市という地に精肉店を開き、その後美味しいお肉を食べさせる旅館業をはじめ、現在も精肉店とホテルという形態で続いています。私は末娘の長男ということもあり、祖父からとても可愛がってもらいました。
祖父の可愛がり方は、好きな物を買い与えたり、お小遣いを多くくれることもそうなのですが、何よりも質の高い但馬牛をいつも私に食べさせることでした。可愛い孫に美味しい牛肉を食べさせたいという思いと共に、私自身を「肉のエリート」として育成する狙いもあったと思います。
成人する頃には、育成が本格的になり、買付けに同行させられ、その場で牛肉の善し悪しを直接指導されました。しかしながら私自身、継ぐ気が全くなかったので、それはとても迷惑なことではあったのですが、優しくしてくれる祖父にそのことを明確にすることは出来ず、のらりくらりと祖父の「早く継げ!修行しろ!」という言葉をかわし続けていたのでした。

そんなある日、私を呼び出した祖父は、10万円が入った封筒を私に手渡し「三重の松阪牛の名店である和田金さんに行って“すき焼き”を食べて勉強してきなさい」と言いました。
当時20歳、遊びたい盛りの私は、その封筒を受け取り「わかりました!行って参ります!」と言いつつ、当時どうしても欲しかった物等を買い、“すき焼きでは無い食べ物”をお腹いっぱい食べ、文字通りの「散財」を行なってしまいました。
若気の至りでは済まされぬ背任行為。しかし、いつも甘やかされるだけ甘やかされていた当時の私には、さほど反省の気持ちもなく、数日後祖父に平然と「和田金さんに行ってきました!さすが名店の味!でした~」等と調子の良い報告を済ませたのですが・・・。

それから4年後、祖父は胃がんでこの世を去りました。
最後の最後まで私の名前を呼んでくれた祖父。死ぬ間際まで「美味い牛肉が食べたい」と言って亡くなった祖父。私の心の中には、優しくしてくれた多くの思い出と共に、和田金さんに行くように渡されたお金を別の事で使ってしまった後悔がありました。
情けないことに亡くなってわかる祖父の存在の大きさでした。以降、すき焼きを見る度に胸の奥がチクっと痛む、そんな日々が過ぎていきました。

そんな日々の中、私は祖父が我々家族に残してくれたお店で一生懸命すき焼きを売っていました。それが一番の供養であり、祖父への罪滅ぼしだと思ったからです。
お店に来るお客さんが「ここのすき焼きは美味しいねぇ~」と仰ってくださる度に、少しづつ私の心の中の懺悔の思いが軽くなっていくような気がしていました。

そういう私を見ていてくれていたのでしょうか。ある日、フード作家の向笠千恵子先生から取材の電話がかかり、その対応を僕が行なったご縁で「すきや連」という素晴らしい会の一員に加えて頂きました。
「すきや連」では、毎回各地の名店ですき焼きを食べる例会が行なわれるのですが、なんと第十一回目の例会が和田金さんで開かれることになったのです。勿論、私はすぐに参加を表明しました。
和田金さんに向かう道中、私は車窓から空を見上げ、亡き祖父に向かって「ようやく約束を果たすことが出来ます」と呟いていました。

そしてついに、私は和田金さんのすき焼きを口に運ぶことが出来ました。
自分で稼いだお金で祖父との約束を果たせた喜びも大きかったのですが、何よりも祖父が、なぜ私にこのすき焼きを食べて勉強しなさい!と言ったのかが、本当に伝わってきました。一つのすき焼きの味を通して、私は亡き祖父と心を通わせている、そんな感覚が私を包んでいました。
とろけていく霜降り牛の味を噛み締めながら、何度も何度も心の中で「おじいちゃん!ごめんなさい!」と呟きながら、でもいつしかそれは「おじいちゃん!美味しい!」に変わっていました。

子供の頃からいつもすき焼きが身の回りにある生活を送ってきましたが、この日のすき焼き以上の味は無いと思います。
牛肉が大好きだった祖父。その祖父の心が込められたすき焼きという食べ物を私は愛しています。すき焼きを食べるといつも祖父に会えるのですから・・・。

<終わり>

その他の「ストーリー」は、こちらでご覧いただけます。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.255日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

ハート長官

『牛ゅっとハート』がついに商標に成りました♡

あの、「ちんや」のハート型の、すき焼き用の牛脂に名前がつきました♡

登録第5599742号♡

商品区分♡第29類♡牛脂♡

商標権者♡株式会社ちんや♡

登録日♡平成25年7月19日♡

この商標は♡登録するものと確定し♡商標原簿に登録されたことを証する♡

特許庁長官♡羽藤秀雄♡

と原文のママFBに早速UPしましたら、多数の方から「いいね!」を頂戴しました。皆さん、誠にありがとうございました。

そんな中、

「登録日が29の日でないのが唯一残念ですね(笑)」

というコメントも。

うーん、それでは、7月19日を『牛ゅっとハートの日』に私が認定したいと思います。

続いて同じ方のコメントなのですが、

「よく見ると、特許庁長官がハトーさん!?これは神がかってますね!」

私は、良く調べずにハネフジ氏かと思っていましたが、このコメントを読んで調べましたら、たしかにハトー氏でした。

ハトー秀雄長官は、

昭和56年東大法学部卒。旧・通商産業省入省。読み仮名の予想は外れましたが、ここは予想通りです。

昭和59年フランスENA留学。ほお、スゴいです。

大臣官房審議官、資源エネルギー庁の部長、消費者庁審議官を歴任、いったん外郭団体へ出た後、平成25年に特許庁長官に就任なさったようです。

昭和63年卒の(東大じゃないですが)私と7歳しか違わない人が、もう出向とか経験して、返り咲いて⇒長官にまで成っているのですねえ。

で、返り咲いた、その日付が今年の7月1日。その御陰様で、

ハート牛脂をハトー長官の手で登録していただくことが出来ました。

目出度いです。

たしかに、神がかってますな、通産人事。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.254日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

土曜の「うし重」

土曜の「うし重」を、地下1階カジュアルレストラン「ちんや亭」でやっています。

すき焼き用のベストな肉を重箱に入れて、外見はまったく鰻重同然にお出しします。それに「やげん堀」さんの山椒と七味、それから奈良漬けが付いてます。

もちろん親父ギャグですが、食べれば旨いと思いますよ。是非お召し上がり下さい!

・・・と、ふざけてますが、真面目な意図もありまして、

・牛の美味しい食べ方と、鰻の美味しい食べ方には共通点があることを知っていただく。

⇒「鰻好き」の方に「肉好き」にも成っていただく。

・浅草にはスパイスの素晴らしい御店(=「やげん堀」さん)が在ることを知っていただく。

という趣旨です。

まず山椒ですが、

江戸時代、醤油や味醂のタレをつけて焼く蒲焼が流行する以前は、山椒しょうゆや山椒みそによるつけ焼きが主流でした。これは、現在のような風味を味わうというより毒消しの為だったようですが、実際、山椒の香りがうなぎによく合うため、蒲焼になってからも「うなぎ=山椒」が定着しているのです。熟した実を干してすった粉山椒は、その独特の香りによってうなぎの蒲焼の味を引き立たせる役目をしています。

また、山椒には胃酸のPH値を下げる働きがありうなぎの消化を助ける働きがあります。

次に奈良漬けですが、

鰻の蒲焼きに奈良漬けの組み合わせは定番。鰻を食べた後に口に残る脂っこさを奈良漬けが拭い去り、口をさっぱりとさせる効果があります。また胃の働きを活発にし胸焼けを抑えたり、脂肪の分解、ビタミンやミネラルの吸収を助けるなどの効果があるとされています。

そうそう、七味のことを言い忘れました。

七味については、夏場に肉という重いモノを食べる状況にあわせて、少し配合を変えてあります。まず、

山椒を減らし(=シビレを減らし)、それから、

陳皮を増やして(=香りを増やして)あります。

と、いうわけで、「土曜のうし重」は、

8月の土曜日の、丑の刻(1時~3時)にご提供。

限定14個(じゅ・うし)個です!(笑い)

え? 丑の刻は午前1時~午前3時だぞって?

あ~イタい所を突きますねえ。昼の1~3時なんです、ギャグが不徹底で申し訳ないことです。スミマセン。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.253日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

一人で居酒屋

わが義塾以外の大学のことは、あまり褒めたくない、というのが私の本心ですが、たまには、

Good Job!!

と思うこともあります。それは、

一橋大学・大学院社会学研究科。

学生に「自分の感覚を頼りに探した飲食店に1人で行くこと。ただし、チェーン店はダメ」

という課題を出したのだそうです。教授はマイク・モラスキー(Michael S. Molasky )さんという、米国出身の方のようです。

この課題に取り組む前に学生さん達は、居酒屋が都会人に欠かせない「居場所」になっていることを文献などで学んで、その仕上げとして、このフィールドワーク=つまり一人で居酒屋に行くこと、が位置づけられているのだそうです。

で、この指示に従って、うら若く勉強熱心な女子が一人で赤提灯の暖簾をくぐったりしているのだそうです。

当然常連オヤジの洗礼を受けて、

「自分の素性はあんまり話すもんじゃないよ」

と指導されたりしているらしいのですが、そのオヤジの推定年齢を知ってビックリ。「40代後半」で、それじゃ、私と同世代じゃないですか!

思いおこしますと、私も20歳代後半の頃「一人で飲む」「居合わせたアカの他人と話す」にチャレンジしていた時期がありました。

勿論誰かに指示されたわけではなく、自分で背伸びしていたと申しますか、意気がっていたと申しますか、そういう時期でした。

最近も勿論一人で飲むことはありますが、全く知らない場所へ行くよりは、どうしても行きつけた所ばかりに行ってしまいます。

この記事を読んで、あの頃の自分のことを懐かしく思い出しました。

GJ!一橋。

流石はCaptains of Industry

チェーン店ばかりの、今時の世の中が気に入らない!という先生が、この名門大学においでだということが嬉しいですね。

それにしても「居酒屋が都会人に欠かせない「居場所」になっていることを文献で学ぶ」って、どういう文献なんだろう・・・

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.252日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

古民家再生

第15回「すきや連」のプログラムの一環で、滋賀県豊郷町の酒蔵「岡村本家」さんを訪ねました。

豊郷町と申しましても、明治時代になって彦根から分離されたのであって、元々は彦根藩。

岡村家は井伊家に酒を納めていた、という由緒を誇る蔵です。

メインの銘柄名は「金亀」。この名前も彦根城の別名「金亀城」にちなんでいます。

さて、お訪ねしまして、酒造りの説明も勿論していただきましたが、私の印象に残りましたのは、蔵の再生・古民家の再生のことでした。

NPO「とよさとまちづくり委員会」の副会長でもある御主人は廃屋と化している古民家を再利用するプロジェクトの中心人物なのです。

まず岡村さんの蔵自身、酒の製法が変ったりした関係で、空きスペースが相当あったとのことでした。それを見学コースにしたり、コレクションの展示スペースにしたり、イベントスペースにしたりなさっています。

イベントスペースの名前は「蔵しっく館ホール」。

改装に着手した当時御父上の御理解が得られず、父上が出張で留守にしたスキにやってしまったというからスゴいです。

さらに、岡村さんは近隣に多数在る、空き家の再生にも取り組みます。

まず「まちづくり委員会」が、町内にある100戸近い古民家のなかから条件に合うものを所有者に交渉して借り受け、

滋賀県立大学の、「とよさと快蔵プロジェクト」メンバーの学生達十数名が、古い荷物の運び出しから、掃除、庭の手入れ、床の張り替えまで行って、ほぼ1年がかりでリニューアルしていく、と聞きます。

延べ500人にも及ぶ人件費は全くかかっておらず、補助金も受けていない、とかで御立派です。

再生された民家の画像を、実際に見てみると、とても素人が作ったとは思えない出来ばえで、古い旅館を思わせるような佇まいも魅力的です。

作業に携わった学生達も大満足で「とても愛着があり、自分が住みたいくらい。」と話している、とか。

うーん、古くて不便な物は簡単に壊してしまう関東者とは違いますね。関東では、古い物に対して、こういう気迫や情熱がないです。

やはり、日本人をやっているキャリアが長いですからね、関西人は。

夜の宴会の後の二次会で行った彦根の色街「袋町」にも風情が残っていました。

こういう物こそが「オンリーワン」だと思うのですが、関東には少ないですね。震災・戦災で元々少ないのですから仕方ない部分もありますけどね・・・

せめて関西では、頑張って遺していって欲しいと願います。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.251日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: すきや連,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

伏流水

第15回「すきや連」を開催するため、彦根市に行ってまいりました。

激しい雨の降る日でしたが、

・中川畜産さんの牛舎見学

⇒岡村本家さんの酒蔵見学

⇒彦根の江戸時代の牛肉文化についてのレクチャー

⇒全国のすき焼き屋さんが集結しての大宴会@「千成亭」さん

⇒袋町に移動して、歌いまくりの二次会

⇒ホテルの部屋の冷蔵庫の振動がうるさくて、ほとんど仮眠のような睡眠

⇒朝食を摂りながら、次回以降についての打ち合わせ

と、ここまで怒涛の日程を済ませ、意識がボンヤリした私は、自分の部屋に帰ろうとして道を誤り、ホテルの売店に入り込んでしまいました。

そこで見つけましたのが、

「びわこ検定」の解説本。受験参考問題&解説100問収録!という本です。

そう言えば滋賀県のことも琵琶湖のことも良く存じませんし、「すき焼き通検定」の主催者としては、パスできない本です。

で、その本を購入して帰りの新幹線で読んでみますと、結構面白いネタが満載です。

なかでも、私の興味をひきましたので「水系」でした。

前日の宴会の最中にも、中川畜産さんから、

水系によって牛の肉質に違いが出て来る、

という話しを聞いていたからです。

中川さんが力説するのは、

鈴鹿山脈を水源とする川の流域で育った牛は、肉質が良い

ということです。

たしかに、

・愛知川(愛知郡、東近江市)

・宇曽川(愛知郡、彦根市)

・日野川(蒲生郡、近江八幡市)

・野洲川(甲賀市、湖南市、野洲市、栗東市、守山市)

の流域が「近江牛」の本場と重なりますね。

大きな川にはたいてい「伏流水」が在るので、中川さんの牛舎でも井戸を掘ってそれを牛に与えています。

うーむ、これは牛の見方に、新しい視点が出来ました。早速、中川さんに連絡をとって、今後の研究テーマに加えることにしました。

だいたいですよ、昨今は行政主導で農産物のブランドを造ることが多いですが、行政域と、こうした天然の地質とは合致しないことが多いので、そこに、そもそもの無理が在る、と私は見ています。

それだから苦し紛れに「ゆるキャラ」を造って宣伝しようとかしてしまうのです。無駄ですなあ。

実は「松阪牛」も元々は「雲出川以南、宮川以北の地域」という流域のブランドでした。松阪市役所の行政のブランドだと信じていた方! その知識はアバウト過ぎます。

たしかに「松阪肉牛協会」の会長職は、充て職のように松阪市長が兼任するのが慣例ですが、松阪市以外からも牛を出して来たのです。

ところが「平成の大合併」の結果、「雲出川以南、宮川以北の地域」の小さい町村が松阪市以外の市と合併してしまったりして、現在はヒジョーに分かりにくく成っています。

「松阪牛」とは、ただ「松阪牛個体識別管理システムに登録している牛をいう」としか定義できないのが現況です。流域ブランド・水系ブランドとしての特色が、行政の都合で歪められないか、私は心配しています。

逆に、近江に関して申せば、エリアが広すぎて特色が出しにくい所を私は心配しています。

農産物を考え・取り扱う場合は、もっと水系とか、自然の地質に則して考えていただきたい、そこを強く要望したいと、私は思います。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.250日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すきや連,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

開催しました! 第15回「すきや連」

<7/29に彦根市の「せんなり亭・伽羅」さんにて、第15回「すきや連」を開催しました。以下は会場で、参加者の皆さんに書いていただいた寄せ書きです。当日の雰囲気が分かりますから、是非お読みください。>

・時雨るるや炭の香高き鍋囲む(向笠千恵子)

・ようこそ彦根へ このご縁が満開になりますように!(上田健一郎)

・ようこそ彦根へ 出会いに感謝(上田勝之)

・オレが育て上げた近江牛サイコー!!(中川晶成)

・彦根の歴史・文化をご紹介できて光栄です。奥深い彦根をお楽しみ下さい。(野田浩子)

・牛飼えず鋤で田起こす春起こす~50年前の母を思いて(中村昇)

・美味しい近江牛が食べられてうれしい。中川さん、上田さん、ありがとう。(松田武朗)

・今日はありがとうございました。すき焼囲んで至福のひととき(木村泰造)

・「件」という文字と妖怪について考えた夜でした。ありがとうございました。(杉原正樹)

・歴史ある近江牛・千成亭さんとても美味しかったです。すき焼・黒毛和牛の文化を世界に広めたいですね!(吉澤直樹)

・日本の牛肉文化の原点ともいうべき彦根で食す近江牛最高です。「すき焼き大全」も楽しみです。(吉澤裕介)

・すきや連の本をみんなでつくりましょう。(土居秀夫)

・好きな一句を~柳くくる猪牙のへさきや夏の雪(松井純)

・77歳の中川さん、これからも良い牛を育てて下さい。(柴田進吉)

・はじめて参加させていただきました。楽しく美味しい素敵な会です。ありがとうございました(近澤秀安・摩弓)

・中川さんの熱意と努力、岡村さんの創意工夫、上田さんのおもてなし、近江牛の醍醐味を堪能させていただきました。(藤森朗)

・向笠先生に招かれてニューオータニ岡半さんのご縁で近江牛をいただきにまいりました。(大竹道茂)

・これからも頑張ります。(田仲寿夫)

・歴史深い近江牛・彦根・日本酒嬉しいすきや連でした。(星野見左子)

・近江牛の聖地、やっぱり現地で食べると美味しいね!(清水祐子)

・いつもありがとうございます。(梅田雄一)

・おやじのふるさとで「すきや連」の会が出来たことに感謝します(島崎進)

・近江の会~「すき焼き大全」新たなスタート 36か月の美味しい肉、ごちそうさまでした!!(川井秀晃)

・彦根が牛肉の食文化のルーツ とても美味しくいただきました。千成亭さん、中川さん、ありがとうございました。(藤井紀美江)

・ひこにゃん、近江牛すき焼きにカンゲキ いっしょにミラノにいきましょう(相沢二郎)

・千成亭さんの美味しいすき焼に感動しました!新しい向笠先生の「すき焼き大全」とても楽しみです。ありがとうございました。(相沢ヒロミ)

・先日梅原猛先生の講演を聞く機会があり、縄文土器は鍋物に使われていた!スキヤキ好きは日本人なら当然と言われていました。

(高橋万太郎)

・近江牛バンザイ!(小林甲児)

・近江牛の歴史が分かり勉強になりました。そして、美味しいお肉ありがとうございました。また参加したいです。すきやき最高!(小林由佳)

・江戸時代の牛肉文化素敵です。彦根城の近くですきやきを頂戴できて感激でした。(西村委代)

・中川牧場で愛情いっぱい育った雌牛らんchan美味しくいただきました。近江牛を堪能させていただきました。(鈴木拓将)

・中川さんの牛舎で生まれ育てられた、美味しい美味しいお肉、大切に育てられたお肉はとても美しく綺麗でした。丁子麩も美味しい優しいお味、永源寺こんにゃく、滋賀県の食材とても美味しい。(羽鳥裕子)

・牛肉の歴史、再度勉強します。日本のすき焼きのために。(森大亮)

<以上>

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.249日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

急遽中止

今年の花火大会は荒れてしまいました。

と申しますか、花火打ち上げ開始後に急遽中止、というのは隅田川では初の事態です。

前日から「大気が不安定」という予報が出ていましたので、大会の公式サイトで確認しようとしましたが、アクセス殺到で接続できず、情報が獲れません。

そこで墨田区観光協会の確たる筋に直に確認しましたら、決行で間違いなし、とのこと。その後も私は17時頃まで、ずっとネットで雨雲レーダーを観ていましたが問題なく、安心して屋上に上がりました。

しかし、しばらくして急に気温が下がり突風がふいて、雷も落ちましたので、慌てて撤収しました。

私は視ていませんでしたが、テレビ東京の生中継も大混乱だったようです。

7時に打ち上げ開始して、25分過ぎた頃には、高橋真麻アナウンサーの傘が飛ばされ、びしょ濡れになり、

「雨が凄すぎて、逆にテンションが上がりますね」とさながら「台風リポートのよう」に。

38分ごろには「突風や竜巻のおそれ」とのテロップが。

ついに40分、総合司会の俳優の高橋英樹さんが、

「残念なお知らせです。花火は中止になりました。さすがにこの雨、風、雷で花火を打ち上げるのは危険ということで」

ゲストの女優・樹木希林さんは、

「わたしね、この歳になると何でも忘れちゃうんですけど、たぶんこの日は忘れないと思います」と苦笑いだったとか。

その後、真麻アナは「びしょ濡れ中継」が「真麻よくがんばった」と評価されて、人気が急騰している、と言いますから、まさに「災いを転じて・・・」ですが、洒落にならないのは主催当局です。

花火を開催する・しないは朝8時に決定する慣例なのですが、今後もこうしたゲリラ豪雨が降るようだと、主催当局は難しい判断をさせられるようになるでしょう。

困ったことです。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.248日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

洋酒天国

お若いのに「開高健に詳しい」とおっしゃる美女と話していて、

あ~開高健ねえ、読んだことありますけど、浅草については結構ヒドい文章書いてますよねえ!

浅草のストリップ劇場に勇んで乗り込んだのに、乗り込む前の食事を喰い過ぎて、気分が悪くなって⇒トイレで昏倒したとかいう体験談が本に載っていますよねえ!

と言ってしまいましたが、私の大きな間違いでした。

後で調べ直してみましたら、それは山口瞳の『新東京百景』でした。

この本は、古き良き街並みが破壊され変貌を続ける、バブル時代の東京を皮肉に描いた本で、全体的には悪くないのですが、なにせ浅草の部分は、こういう話しになっていて「・・・」です。

間違いの言い訳ですが、開高健と山口瞳は二人とも酒関係。しかも、サントリー関係者です。

30歳を過ぎて失職していた山口は、開高に推薦してもらって当時の「壽屋」(=現在のサントリー)に入社します。

PR雑誌『洋酒天国』の編集や、コピーライターとして活躍。ハワイ旅行が当たる懸賞のコピー「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」が、コピーライター時代の代表作です。

その後『江分利満氏の優雅な生活』で1963年に「直木賞」を受賞、この時点でも未だサントリー社員だったそうです。

対する開高も年齢は下ですが、壽屋宣伝部では先輩で、やはり『洋酒天国』の編集やコピーライターをしていました。代表作はトリスウイスキーの「人間らしくやりたいナ」。

『裸の王様』で芥川賞を受賞するまで社員だったのも、山口と似ていますね。

若い頃の私は、こういう雰囲気に憧れて、自分が酒を飲む以前から読んでいましたが、このところはご無沙汰していました。世間で開高や山口が話題になることも最近はあまり無かったと思います。

そんな中で、開高の話題が出て来たので、昔のことを思い出して楽しくなり、調子に乗って、勇足を踏んでしまいました。

お恥ずかしい限りです。

 

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.247日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)