GHQのすき焼きパーティ

その日もツイッターに「すき焼き」と入れて検索していました。で、発見しましたのは、

「昭和29年3月、GHQに接収されていたときに館内で撮られた写真。アメリカに帰国する将校のさよならパーティが地下食堂(現在はない)で開かれた。メニューはすき焼き。将校の後ろには三味線奏者の姿が。これは貴重な1枚。」

という@gakushikaikanさん(=神田錦町の学士会館)のツイートでした。

画像を開いてみますと、たしかに米軍将校とおぼしき人物が鍋を箸でつついています。写真の縁に「極東空軍士官クラブ」と印刷されていますから、空軍さんなのでしょう。

空軍さんは、着物の日本人女性たちに囲まれていますが、この人たちがすき焼きを作ったのでしょうか。

それとはまた別に、後ろの壁際に三味線をかまえた着物の女性が写っています。BGMのようです。

鍋は銀色で、鉄製には見えません。

たしかに貴重な写真ですね。

こういう写真が残っているのは、学士会館の建物が時代の風雪を乗り越えて来たからです。建造は昭和3年5月20日で、国の登録有形文化財だそうです。

GHQに接収される前にも、昭和11年(1936年)の2・26事件の時は東京警備隊司令部が置かれたり、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が始まると、会館屋上に高射機関銃陣地が設けられたりと、なかなか苦労していますね。

しかし、その学士会館を、私のような私学出は親しんで利用してきませんでした。神田ですから、近いんですけどね。

だいたいですね、大正8年(1919年)に原敬・政友会内閣によって「大学令」が施行されるまで、慶應も早稲田も卒業生に学士号を授与できませんでした。

それ以前は、慶應も早稲田も大学ですらない「専門学校」扱いで、帝国大学つまり東京帝大と旧七帝大だけが「大学」でした。

学士様というのは、要するに帝国大学の出身者のことで、学士会館は、そう、その学士様の為の社交場だったのです。

そういう次第で学士会館は、帝国大学を出てない者にとっては、本来「お呼びでない」場所なのですが、今回すき焼きの写真を見て「久しぶりに行ってみようかな!」と思いました。今は勿論、誰でも利用できますからね。

早速、現在の学士会館の和食部門「二色」のメニューを調べてみますと・・・

寿司がメインで、天麩羅が少々と、何故かステーキ重だけが在ります。

すき焼きは、

無いですね・・・

けっ、これだから国立出はイヤなんだ!

追伸①

「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。

<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に

<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで

<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)

<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)

<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。

<参加費>なんと、無料。

*参加の手続きはこちらです。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.194日連続更新を達成しました。

1.200日が近づいてまいりました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)