エレジー
世田谷文学館の「上を向いて歩こう展」を観に行きましたら、グッズ販売コーナーで『上を向いて歩こう』というタイトルの本を見つけました。結構分厚い本です。
著者の佐藤剛さんは音楽プロデューサーの方で、ザ・ブーム、宮沢和史、ZELDA、喜納昌吉&チャンプルーズ、ザ・プライベーツ、ヒートウェイヴ、中村一義、小野リサ、ハナレグミなどのプロデュースを手掛けた方です。小林幸子の50周年シングル「蛍前線」もプロデュースしたとか。
その佐藤さんが、一冊丸ごと「上を向いて歩こう」について書いたのが、この本です。
この歌が、戦後復興の中でどのように産まれ⇒育まれ、世界の「スキヤキ」になったのか。中村八大、永六輔、坂本九、その他多くの人への膨大な取材に基づいて、「昭和という時代の息遣いを追いながら書き下ろした、ヒューマンドキュメント」です。
拝読しまして、この曲が世界中に受け入れられた理由が何だったか、を知りました。
それは「この曲がエレジーだったから」~そう佐藤さんは書いています。
ザ・ブームにも世界中でヒットした曲がありますが、それは『島唄』で、これもやはり沖縄の哀しみを描いたエレジーです。
世界中の人々に受け入れられるのは、たいていエレジーだ、という佐藤さんの説に、私は納得しました。
良く考えてみれば、「上を向いて歩こう」がビルボードで1位になったのは1963年です。あの大戦争が終わって18年しかたっていませんね。
なのにアメリカを訪問した日本人の九ちゃんは群衆から熱狂的な歓迎を受けたのです。ありえないことです。
2001年のテロと比較してみましょう。
あの時「米国本土が攻撃されたのは真珠湾以来」と言われましたよね。あれから12年ですが、今のアメリカの大衆が、アフガンやパキスタンやスーダンの歌手を歓迎するなんて想像もつきません。
でも、九ちゃんは歓迎されました。
何故でしょう。
九ちゃん個人の魅力も当然あったと思いますが、やはり曲がエレジーだということは、決定的だったろう、そう私も思います。
アメリカは戦勝国で、戦後は空前の繁栄を謳歌していましたが、出征して帰還した兵士達が心の底から勝利に酔っていたわけではありませんね。心中には深い哀しみが在ったと思います。エレジーを求めていたのです。
もっとも、元浅草のご出身の永六輔さんがこの詞を書いたキッカケは、安保闘争敗北の哀しみでした。そんなことをアメリカの大衆は、おそらく知らなかったと思いますが、それでも曲が湛える感情は大勢の人に伝わりました。
この本は、そんな歴史について、さらには歌の力、音楽の力について、あらためて思いおこさせてくれました。
岩波書店2011/7/14刊行。ISBN-10: 4000222198、ISBN-13: 978-4000222198
ところで、本日6/8は「スキヤキ」が、1963年にビルボードで2位になった日です。そして次週6/15に、ついに1位になります。
その6/15から50年を記念して「ちんや」では、以下のようなイベントをいたします。ご都合がつきます方は、是非浅草へお出かけ下さいませ。
「スキヤキ・ソング」50周年記念
「ちんや」で九ちゃんのCDが当たる週間
平成25年6月15日(土)~23日(日)
・「ちんや」御座敷で食事なさった後、レシートを「ちんや」売店内の
抽選所にご持参下さい。お1人様1回抽選に参加できます。
(料理一人前をご注文いただいた方に限らせていただきます)
(「ちんや創業感謝祭」と同時に参加なさることはできません)
<1等>「上を向いて歩こう」CD
<2等>世田谷文学館「上を向いて歩こう展」入場券
<参加賞>「ちんや」金券133円(参加賞は全員に差し上げます)
*「音のヨーロー堂」さんと世田谷文学館さんのご協力により開催させていただきます。誠にありがとうございます。
追伸①
「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。
<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に
<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで
<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)
<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)
<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。
<参加費>なんと、無料。
*参加の手続きはこちらです。
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.192日連続更新を達成しました。
1.200日が近づいてまいりました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。