彦根から広まった江戸時代の牛肉文化
次回「すきや連」例会は彦根市の「せんなり亭」さんで御世話になることに決まっています。
その彦根の「彦根城博物館」学芸員・野田浩子さんが、以前雑誌『食生活』2011年5月号に「彦根から広まった江戸時代の牛肉文化」と題して寄稿されていたのを思い出しましたので、探し出して読んでみました。
彦根が江戸時代には牛肉文化の先進地であったことは、広く知られています。その経緯のポイントを整理しますと、
・軍需産業としての皮革産業が中世から湖東地帯に発達していて、やがて井伊家がそれを傘下に収めた。
・皮を獲る為に牛を屠殺した時に出る肉を、薬として食した。医師が管理していた。
・食べ方は、干し肉・味噌漬け・酒煎り肉であった。
・干し肉の効能が評判になり、将軍家から請求されて献上した。水戸家にも献上した。
・江戸後期には大名や医師だけでなく、藩士や豪商も肉を食べるようになった。
・幕末には店舗をかまえて肉を売る店が登場した。
という感じです。
この文中にある、
「安政年間(1854-60年)には彦根城下の町人が江戸で「彦根牛肉」の看板を掲げて商売していたという。」
という一文には、へええ!と思いました。
この一文に証拠は添付されていませんが、文久3年(1863年)に来日したアメリカ人が撮影した厚木宿の写真には、彦根牛肉を商う店が写っていて、それが掲載されているのです。
この頃には、一般人が街で普通に肉を購入できるようになっていたのですね。
その肉は、どんな肉だったのでしょう。
興味が湧きますね。
彦根行きが楽しみです。
追伸①
「浅草法人会」さんの主催で講演会をさせていただくことになりました。
<演題>すき焼きを現代に活かす~商いは、楽しく・古風に・斬新に
<日時>7月2日(火曜)17時受付開始⇒17時30分~19時頃まで
<場所>浅草文化観光センター5階(台東区雷門2-18-9)
<定員>60名様(早めにお申し込み下さい)
<参加資格>どなたでも(=浅草法人会会員でなくても)参加できます。
<参加費>なんと、無料。
*参加の手続きはこちらです。
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.196日連続更新を達成しました。
1.200日が近づいてまいりました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。