奈良の浅草海苔
先日「国際観光日本レストラン協会」の研修会が奈良県大和郡山市の「ル・ベンケイ」さんであり出席して来ました。
この日の講師の先生は春日大社の権宮司様でした。
ええ?!神主さんの話しが料理屋の参考になるのか って?
それがですねえ、なるんです!
お話しの内容は、神様への供物つまり神様に捧げる食事の内容のことでした。古代から作り続けられている、その料理こそ、日本食の原点です。
その御話しを聞き、供物の画像を見せていただいて、ビックリ。
神主さん達は日々、それはそれは手間のかかる料理を作って、神様に差し上げているらしいのです。知りませんでした。
小豆を千個近く、心棒に糊で貼り付ける、というものもありました。
神様は、その手間ヒマをかけさせることで、人間の信仰心が本物か試しているかのようです。その位手間のかかるものでした。
しかも、それを気の遠くなる位長い期間に渡って続けているのですから、大変なことです。
ところで神社にも社格がありますが、春日さんは勿論最上位です。藤原摂関家の氏神だっただけにリッチで、戦前の制度では官幣大社でした。
社格が高いので、年に一度宮中から勅使を迎えて祭りをします。宮内庁が皇祖・皇霊に捧げる供物を用意する際にも手伝うこともあるそうです。
それでも素材の調達には大変ご苦労なさっておいでのようで、その苦労話しも興味深いものでした。滅多に聞けない話しを聞けて、有り難いことでした。
でも関東者には少し寂しさも。
ここまで昔の時代に関わることって関東では無いんですよね。羨ましいだけで終わってしまいます。
浅草は三社祭りがありますから、関東の中では神の存在を感じる土地柄ではありますが、三社様(=浅草神社)の祭神は元々人間です。隅田川で漁をしていて観音様をすくい上げた人が祀られたのです。
祭神が人で、しかも縁起そのものが仏教ネタですから、イザナギ・イザナミのような神とは、神は神でもかなりテーストが違いますね。
浅草の神様は、仏教が渡来して神仏習合した後の神様なのです。仏教が渡来する前の、日本オリジナルの神々がいる奈良県と関東は、やっぱり違うよなあ、とどうしても思ってしまうのです。
そう思いながら供物の画像の説明を聞いていましたら、権宮司様が、
これは・・・浅草海苔ですね・・・
あ、あさくさ・・・海苔・・ですって!
唐突にその単語が出てきたので、ビックリしました。
それで講演が終わった後の、懇親会の時間に権宮司様に、この件を質問しましたら、
奈良の酒を関東に送った後、その帰りの船に積んで来たんだと思いますよ。
という御返事でした。
実は17世紀の中頃まで、日本の酒造りの中心は奈良で「奈良酒」と言っていました。醸造技術は先進技術なので関東では発達しておらず、それで奈良から関東へ酒を送っていたのです。
その頃には既に江戸湾で海苔が生産されるようになっていたので、奈良へ戻る船に積まれたのだろう、という権宮司様の説明でした。
それに権宮司様は数年前に「ちんや」に食事に見えていた、とか。いやあ、ビックリしました。
そこで恐れ多いことではりますが、宮司様に、出来れば品種がアサクサノリの「浅草海苔」をお使いいただきたい、と申し上げておきました。
「ちんや」の精肉売店ではアサクサノリの「浅草海苔」を売っていますが、これだけ有り難い御縁があるなら、ますます頑張らないといけませんね。
追伸①
藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。
他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。
是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は300人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて966日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。