城下町

 今週末、合羽橋では「合羽橋道具祭り」が開かれています。TV東京「出没!アド街ック天国」の今日放送分では、その紹介があるようです。皆さん、是非お出かけを!さて、

 大垣市の「天近別館ちかざわ」の御主人とはFB友達です。

 「ちかざわ」さんとは旧知でしたが、先日国際観光日本レストラン協会の会合が「ちかざわ」さんであり、その時にFBをやっておいだということが分かりましたので、FBでもつながらせていただきました。

 その後FBを見ていますと、その「ちかざわ」さんが、岩手県にキノコの仕入れに来ました!

と書いておられました。

 UPされていた画像は、しかしキノコではなく前沢牛と岩手短角牛のステーキ。やはり協会の会員である、盛岡のステーキレストランの「和かな」さんに立ち寄られたようでした。

 旨そうな肉でしたが、今回はその件はさておきまして、盛岡のことを書きます。

 さて盛岡は私の母の故郷です。盛岡市内丸の、今は廃業した「河北」という料亭が実家です。それで子供の頃は毎年遊びに行っていました。東京生まれの私にとって、盛岡は半ば故郷のような土地です。

 そうしましたら「ちかざわ」さんも、「私の茶懐石の師も盛岡の方で、20年程前は、毎年ご一緒に里帰りにお邪魔させていただいていました。」とおっしゃいます。

 なんか、つながってる感がありますね。

 その、つながってる感を私なりに解釈してみますと、大垣も盛岡も、歴史のある内陸の城下町という点が共通しています。

 会津若松や米沢に行った時も同じように感じたのですが、なんかとホッとするのです。川が流れていて、土塀があったり、酒蔵があったり、和菓子屋が在ったりする風情が、私は好きです。会津の「末廣酒造」の御主人も、やっぱり城と蔵のある街がいいよね!と言っておいででした。

 それと、もう一つ共通点がありまして、それは江戸時代を通じて安定感のある藩政が布かれていた、という点です。

 会津・松平家は九代、米沢・上杉家は十二代、大垣・戸田家は譜代大名なのに、なぜか転封がなく、大垣で十一代続きました。盛岡の南部家は、鎌倉時代から近代まで同じ家が同じ領地に居続けた、という稀有な例です。

 そうした安定した政治の下に商業・文化が発達⇒風情のある街並が出来上がったものと思います。特に酒と菓子は贅沢品ですから、文化度が高い町で発展しますよね。

 南部藩は寒い土地なので冷害に遭ったり、遠距離参勤交代の負担が重かったりして貧乏だったようですが、それでも近江商人や、大阪の杜氏、甲州の鋳物師を誘致して、それなりに産業振興に取り組んでいました。その歴史が現在まで続き、今でも南部杜氏や南部鉄器と言えば有名です。

 「ちんや」でも南部杜氏の酒を売り、南部鉄器の鍋を使っています。

 街を訪れて、その街の風情が好きになったら、その感覚を根拠に産品を買えば良いのではないか。そうしていれば間違いは起きないような、私はそんな気がしています。

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

  「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は300人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて950日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: 飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)