ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。
この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。
こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。
(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その12日目です)
石田「地域での活動は本業にも大きな影響をもたらしている?」
住吉「プラスマイナスありますね。店の連中は、ウチの社長は忙しいなあ、留守にするのは困るなあ、と勿論思っていると思いますよ。でも逆に、その留守を守ることも浅草の御為ですから、責任感が芽生えてくると思います。」
朝岡「社長にとって“浅草”とはどんな街?」
住吉「この世の中で唯一無二の街だということは強く意識しています。」
浅草の全盛時代についておさらいしますと、
①浅草の中心には浅草寺(=宗教)があり、その北に、
②猿若町(=エンターテインメント産業)があり、さらにその北に、
③吉原(=セックス産業)が並んでいました。そして、
④浅草の南には米蔵(=経済力)が集中していました。
これほどのラッキーさの中で、浅草は成立したのだ、ということを忘れてはいけません。この世の中に2つとない土地であることがすぐわかると思います。」
石田「ほかにも、業界内での取り組みはございますか?」
住吉「『すきや連』という会、すき焼き屋の集まりを主催しています。
石田「この会がスタートしたきっかけは?」
住吉「2008年10月に平凡社新書『すき焼き通』が刊行された時、この本に載ったすき焼き屋が集まりました。すき焼き屋の集まりというのは、それまでなかったので、参加メンバーの中から、是非また集まりたいという話しになりました。以来年に3回のペースで集まっています。勉強会や見学会をした後、すき焼き大宴会をします。開催地は、北は米沢、南は熊本まで広がっています。最初の会場店が「ちんや」だったので、私が事務局長に成り、ずっと永久幹事を務めています。なお「すきや連」が発足した10月15日は、日本記念日協会から「すき焼き通の日」として認定されています。」
朝岡「同じ業界だからこそ、有益な情報交換なども行える?」
住吉「実は正確に申しますと、同業団体ではないです。食材の生産者やメデイアの方、単なる愛好家もいますが、そこが良いのです。業界外の方は純粋に興味を持たれて色々質問して来られるので、すき焼き屋の方も、うっかり秘密を話してしまいます。それが有益なんです。それから、ほとんどの方が会社のオーナーさんで代理出席を認めないのも特徴です。やはり勤め人の方は、上司に気を遣って口が重いですからね。それでは忌憚のない意見が飛び交う雰囲気になりません。人から情報を獲るだけ獲っておいて、自分は出し渋るというような態度では、本当の意味で全体の進歩になりません。」
石田「同業を含めて、浅草には特に長寿企業が多いと思うが、その理由は?」
<この続きは、明日のこのブログで>
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.806日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。