すき焼きの歴史と現在~若き料理屋さん達のために②
全国料理業組合「芽生会」関東甲信ブロック会議で、すき焼きについて講演することになりました。
「芽生会」と申しますのは、各料理屋さんの若手後継者の集まりです。講演場所が同業の名店「太田なわのれん」さんなので、正直かなり話しづらいですが、若い料理屋さん達の参考になりますよう、頑張って原稿を準備しました。
ここでも公開してまいりますので、ご覧下さい。長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたしますね。
<以下本文>
私が住吉でございます。ただ今よりすき焼きの話しをさせていただきます。
「すき焼き屋がすき焼きの話しをするんだから簡単だろう!」って思っておいでの方も多いのかな、と存じますけど、今日は会場が同業の御店「太田なわのれん」さんでお話しするわけでありまして、自分の店じゃございませんから困りました。いい加減に出来ません。
軽口は無しで真面目に進めたいと思いますので(笑い)、よろしくお願い申し上げます。
さて最初に宣言しておきますが、すき焼きのルーツについては、諸説あって分かりません。今日のところは、いくつか説を挙げておく位でご勘弁いただきたいと思います。
まず「杉やき」ですね、「杉やき」と言いますのは、魚介類と野菜を杉の箱に入れて味噌煮にする料理で、1643年の料理本に出て来るそうです。
次の「鋤やき」は、鳥や魚を鋤の上で焼く料理のことで、こちらは1801年の料理本に出て来るそうですが、私は直接原典を読んではおりませんので、要するに、受け売りです。興味のある方はお調べになって、私に教えていただければ、と思います。よろしくお願い申し上げます。
この他に、肉を剝(す)いて薄くするので「剝き焼き」だという説もありますが、本当にそうした文献上の料理が受けつがれて来て、やがてすき焼きに成ったのか、私はわかりませんし、多分調べようがないですし、正直私はあんまり関心が無いです。それに皆さんも、そういう話しはつまんないですよね、だから「へえ、そういう説があるのね」位にしておいて、先に行きたいと思います。
はい、この部分に興味を抱いていた方には、ゴメンナサイでした。
さて現代のすき焼きに直結しているのは、江戸の街で密かに営業していた「ももんじ屋」または「ももんじい屋」の料理で、けものの肉を鍋物にして食べさせていたようです。当然、当時表向き肉食はタブーですから、「薬喰い」と称して、アングラで食べていました。
今でも猪肉を山鯨(やまくじら)あるいは「牡丹」と言ったり、鹿肉を紅葉などと言いますが、この当時の隠語が起源のようです。
獣の産地は江戸郊外で、農民が害獣である猪や鹿を駆除した時、それを利根川で江戸へ運んでいたそうです。牛や馬は害獣でなく役にたつ動物ですから、さらにタブー感が強かったはずですが、それでも牛肉・馬肉を食べさせることがあったようです。ここで食べられていた料理が今日のすき焼きの、直接の原型です。
今でも両国で1718年創業の「ももんじや」さんが営業していますね。両国橋を渡ると、すぐ右手のビルの外壁にイノシシが逆さまに吊るしてありますから、行けば「おおっ!」と思うはずですが、あの御店はそうした御店の生き残りです。
で、その「ももんじや」で食べられていた、牛鍋が明治時代になりまして解禁になるのですが、その前に幕末に「プレ解禁」がありました。「プレ解禁」の原因は言うまでもなく、日本に入って来た外国人の影響です。
1859年に横浜が開港しますと、居留地の外国人の需要に応えて、肉を調達する必要が生じました。当時は日本に畜産業がなかったため、最初は輸入したりもしたようですが、やがて日本国内で農耕作業に使った牛を、退役させて潰して食用にするようになりました。1864年には横浜に屠牛場が開設され、幕府から公認もされたようです。こうした流れに乗りまして、日本人も公然と肉を食べるようになっていきます。
時に皆さんは15代将軍・徳川慶喜のあだ名を知ってますか?
<本日分は終わり>
この話しは長いので5/12から5/21まで10回に分けて公開いたします。明日もよろしくお願い申し上げます。
追伸①
TV東京『和風総本家』に「ちんや」が登場します。
「ちんや」に豆腐を納めて下さっている「市川食品」さんを密着取材する特集の中で登場します。5月16日(木)21時~放送です。ご覧ください。
http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.166日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。