ロストロポーヴィチとすき焼き
一日に一度ツイッターに「すき焼き」と入れて検索していますが、ある日、東京文化会館音楽資料室@tbkmlibraryさんのツイートを見つけて、
おや!と思いました・・・
【ロストロポーヴィチ】何度も来日した親日家だった。初来日の1958年、山田耕筰がすき焼きをご馳走してくれ、すき焼きにビールを入れて柔らくするという知恵に驚き、日本の食文化に興味を持った、と常々語っていた。相撲も好きで、九重親方とも親しかった。
というツイートです。
ロストロポーヴィチと言えば、往年のチェロの巨匠です。私がチェロをかじっていた頃カザルスは既に他界していて、ロストロさんの存在が圧倒的でした。技術のスゴさは勿論、スケール感・レパートリーの広さでも群を抜いた存在でした。
そのロストロさんが、すき焼きにビールを?
確認してみますと、事実のようです。
初来日した1958年に、作曲家の山田耕筰に案内されて食べた日本食と食文化に感動し、以後日本への興味が深まり、すっかり親日家になったそうです。
中でも築地市場見物が日本演奏旅行の楽しみの一つで、競り場で早朝飛び交う声を「日本のオペラだ」と言って愛好していたそうです。
ついには、築地で働く人々の間にロストロ・ファンクラブができたとか。
ロストロさんはソ連時代の勇敢な反体制運動でも広く知られ、尊敬されていて、2007年に亡くなった時は、世界中から深く惜しまれました。
さて、話しは戻りまして「すき焼きにビール」ですが、
まあ、ビールの酵母が生きていれば、肉を柔らかくする作用はありましょう、一応。
でも、山田耕筰が用意した肉は、そんなことをしないといけないほど、硬かったのでしょうか。
熟成させれば、それで充分柔らかくなると思うのですが、物の無い時代の話しなので、今となってはわかりません。
それにしても、硬い肉が日本とロストロさんを繋いだとは、何が幸いを成すか分からないものですね。
ともあれ、久しぶりに聞いてみたくなりました、ロストロさんの「無伴奏チェロ組曲」を。
追伸①
雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。
http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.156日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。