タカウレ商品
雑誌「AERA」4月15日号の「タカウレ特集」に知人社長が登場していて嬉しくなりました。
タカウレとは勿論、高くても売れる商品のことです。
「高くて売れる優れモノ」
「デフレを生き抜いた優れモノたち」の例として、
スキンケアクリーム126.000円、トマト1箱6.000円と並んで、ビニール傘12.600円が載っていました。そのビニ傘を地元・台東区の会社「ホワイトローズ」さんが販売していて、須藤さんという方が経営しておいでです。
さて須藤さんの会社は浅草=上野間の、仏壇仏具街の中に在ります。一軒だけ傘の会社なので通りかかると、
おや、ここだけ傘屋さんだ!
と思いますが、最初から一軒だけだったわけではなく、以前は同業者がいたそうです。
ところが須藤さんが会社を継いだ30年前頃から、海外製の安いビニ傘が市場に入って来て、「同業他社はバタバタつぶれていった」そうです。
しかし、そんな中でも須藤さんはビニ傘から撤退しませんでした。ビニ傘を最初に開発したのが須藤さんのお爺さんだったからです。
やがて頑張っていると、ある時、商機に巡り会います。
選挙に出る議員さんが、雨の中でも有権者に顔が見えるよう、軽くて丈夫で大きな透明傘を欲しがっていたのです。選挙戦でさんざん傘を使いますから、普通のシャビーなビニ傘ではダメだったのです。
100円ショップのビニ傘は骨が6本しかなく、風が吹くとすぐ壊れて⇒ゴミに成りますが、須藤さんの傘には、グラスファイバー製の骨が16本あるものがあります。ビニール部分も温度変化に強い3層構造で、丈夫です。選挙のたびに少しずつ売れるようになっていきました。
次に、このような高級ビニ傘が在ると知れると、他の需要と結びつき始めました。墓前で経をあげるお坊さんのための「テラ・ボゼン(墓前)」という商品が登場します。それこそが12.600円のビニ傘です。
また高齢者・お子さん・障碍者の方は、雨の中で周りから見えた方が安全性が高まりますから、須藤さんの傘を買うようになっていったそうです。
「AERA」が解説するところでは、
「生活していると、細かなところで非合理だと感じたり不便だと思ったりすることが結構隠れている。それらに対応できるものを生み出せれば、高価格帯でも勝負できるでしょう」
普通の人はビニ傘=安物=使い捨て
と決めつけていたので、透明傘の、こうした需要に気づかなったわけですが、実際は需要は在ったわけです。
それにつけても、高い技術は必要ですね。透明傘でもしっかり作る技術があったから、需要が掴めたのだと、私は思います。
「安い」という価値だけの商品には、いくらでも代わりの商品が在りますが、
「買い換えがきかないもの」
「代替できないもの」
「ほかとは比較ができないもの」は生き残っていけるのです。
ガンバレ! 日本のモノづくり。
追伸①
雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。
http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は348人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.155日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。