檜物町
料理業組合「芽生会」の会合で、八重洲の日本料理店「や満登」さんに行って来ました。
「や満登」さんの初代・成川国太郎氏は、マグロのトロを初めて刺身として提供した人として知られています。
それ以前はマグロの中トロを出す料理屋はなく、中トロは「ねぎま鍋」として職人さんたちの食するメニューでした。しかし国太郎氏は「こんな美味しいところを料理屋で使わないのはおかしい」と感じ、脂っこさを美味しくいただく方法を考案したとか。
それが「や満登づくり」。
中トロの柵取りを幅広くし、大根おろしとわさびを挟んで食べさせる方法で、これが元祖トロの刺身なのだそうです。
それが今回は丼ぶりにのって出てきました。実に結構でした。
ところで「や満登」さんのご創業は明治35年。
この地で開業したのは、明治末から大正の頃、現在の八重洲一丁目界隈に日本橋花柳界ができたからです。
この地の芸者衆は「檜物町芸者」と呼ばれました。江戸時代に家康が江戸城のまわりに武家屋敷を建てる際、尾張から宮大工を集めて住まわせましたが、大工は檜を扱う仕事であることから、大工が住む、この一帯が「檜物町」と名付けられたそうです。で、「檜物町芸者」。
全盛期に芸者衆は500名以上いたとかで、特に新派の俳優さん達が贔屓したそうな。
残念ながら、現在の街並みからは檜の木の名残も、花柳界の名残も感じることはできず、「や満登」さんがなければ、「檜物町芸者」のことは忘れ去られたことでしょう。
「や満登」さんは、会社経営経験のあるお嫁さんを迎え、環境に合わせて4年前にリニューアルなさいました。「ザ料亭」な店構えを今日風にと大胆に変えて残り、ご繁盛です。
料理屋は、街の歴史の証人なのだ、その為にはチェンジも必要なのだと改めて感じさせてくれた食事でした。ご馳走様でした。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.815日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。