拡散の理由②
14日の弊ブログに「拡散の理由」を書きましたが、一部書き漏らしたことがありました。
メデイアの反応のことではなくて、一般の皆さんの反応のことです。
最初に2/8に「文春オンライン」に載って、それがYAHOOのヘッドラインにリンクが張られたのですが、そこに3.000件以上のコメントが書き込まれました。内容は15対1で「適サシ」を支持する方が多かったです。
いったんYAHOOに載っても、一般からの反応が芳しくなければ、すぐ他の話題と取り替えられてしまいます。ところが「適サシ」には、猛烈な勢いで書き込みがあり、そのせいで、ほぼ丸一日ヘッドラインに載っていたのです。この影響は絶大でした。
つまり「適サシ」はメデイアの反応が良かっただけでなく、一般の皆さんの反応も良かったのです。
リアルな私の体験でも、
適サシ宣言、良かったです! 私も以前から、絶対そうだと思ってたんです!
俺も同じこと思ってたんだけど、自分の年のせいだと思ってたんだよね。でも、違ったんだね。原因が分かって良かったよ!
皆さん、目を輝かせてそう言います。そう、皆さん、内心、今の霜降りは行き過ぎて美味しくないと思っていたのに、言えなくて黙っていたのです。
自分が少数派ではなく、多数派だと分かったことが嬉しくて仕方ないのです。そう、多数派に属していることはやたらと嬉しいことなのです。日本的ですけどね。
そして話しは膨らみますが、商いの歴史を調べてみますると、皆(多数派)が内心そう思っていたのに、言えなくて黙っていたこと、それを実現した人が結局成功しています。
例えば「正札販売」。
商品に、値段を書いた札(=正札と言う)を付けて販売することを正札販売と言い、今日では当たり前ですが、それが始まったのは1876年。アメリカ・フィラデルフィアの商人ジョン・ワナメーカーによって始められたそうです。
それまでは客の様子を見て、値段を変動させていたのです。現代でも「ぼったくり寿司屋」に行けば同じ目に遭います。またイスラム圏では正札販売が普及していないので、客は店員と駆け引きして買います。
駆け引きは面倒だし、それに不公正ですよね。
そういう「ぼったくり」はイヤだと、それまで庶民は皆思っていたのに、言えなくて黙っていました。それが多数派でした。
そして、言えなくて黙っていたことを、アメリカ人より先に実現した日本人がいました。三越さんの前身の越後屋が1673年(延宝1)に実施しているのです。スゴいことです。
やや遅れて1726年 (享保11年)、大丸さんの前身も大阪心斎橋筋で現金正札販売を始めます。どんな人間にも現金正札販売する、この店の姿勢は支持されまして、どの位支持されたかと申しますと、1837年 (天保8年)に大塩平八郎の乱が起きた時に「大丸は義商なり、犯すなかれ」と、焼き討ちを免れたのです。
これはドラマティックです。他の商人は幕府と結託していたので、「義商」ではないと見做され焼き討ちされましたが、大丸さんだけが免れたのです。現金正札販売が、どれだけ人々に支持されたか、良く分かります。今日でも通用する教訓だと思います。
追伸
拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』
浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。
東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。
四六判240頁
価格:本体1600円+税
978-4-7949-6920-0 C0095
2016年2月25日発売
株式会社晶文社 刊行
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.608日連続更新を達成しました。