神社の格付け

年末・年始は江戸のこと、昔のことを想いたくなる季節ですね。そこで「ちんや」では、江戸・東京の御酒「豊島屋本店」さんの『金婚』をお勧めしています。

さて、その「豊島屋本店」さんは江戸・東京最古の企業の一つと言って良いと思います。

ご創業は、なんと太閤秀吉の晩年・慶長年間と言いますから気が遠くなります。当代の社長さんは十六代目だそうです。

創業当時、江戸の街はまだ建設途中、関東にはレべルの高い酒造技術が無かったため、関西から酒を買い入れて販売していたそうです。

明治時代になってから、自前の酒蔵を東村山市に建設して⇒酒造業に進出したそうで、現在は酒造りをされていますが、酒造技術が関東に普及する前から酒を売っている、という話しは、この会社以外にあまり聞きません。

「豊島屋本店」さんの、もう一つスゴい所は、

明治神宮、山王日枝神社、神田明神という、東京の主要三大神社に御神酒を納めている、という所です。

え? 東京の三大神社って言ったら、浅草・鳥越・富岡じゃないの?と思った方は、たぶん祭り好きの方なんでしょう、でも、残念ながら、祭りの盛り上がりと神社の社格は一致しません。

戦前のことを調べてみますると、東京には「官幣大社」が二社ありました。明治神宮と山王日枝神社です。

この内、明治神宮は勿論明治天皇の没後にお祀りした御宮ですから明治時代には存在していませんでした。

山王日枝神社は古い神社ですが、関係者の請願が実って「官幣大社」に昇格したのは大正時代のことです。元々は江戸城内に在った神社でしたので、皇居を鎮守するという意味合いを込めて「官幣大社」に上げてもらった、というのが実態のようです。

このように当時の東京に格の高い神社が少ない中で、旧官幣大社二社中二社に『金婚』の御神酒が入っている、というのはスゴいことです。

この他に全く別格の存在として靖国神社が在りましたが、話しがややこしくなるので、今日はパスしておきましょう。

一方、神田明神は「東京府社」でした。江戸の「総鎮守」なのに「府社」でした。

だいたい当時の神社業界は実に西高東低でして、徳川家の信仰が篤い神社でも、皇室にあまり御縁がなければ、格下と成ります。神田明神と言えば平将門伝説で有名ですが、それもプラス要因ではなかったのでしょうね。

芝神明、根津権現、亀戸天神、富岡八幡宮といった大どころも「府社」の一軒でしかなく、浅草はと申しますと、そのさらに格下の「郷社」でした。

浅草神社は、何しろ祭神が浅草寺の観音様を拾い上げた人ですから、明治維新まで浅草寺と完全に一体のもので、神仏分離が行われていませんでした。その辺も格付けに当たってはマイナス要因だったのでしょうね。

そういう次第で、色々申しましたが、「豊島屋」さんの御縁で、皆さんも神社の格付けに詳しく成りましたね。

有り難や。

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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.020日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)