洋食のルーツになった世界の古典料理を食べる会

・シクバージ(またはアル・シクバージ。エスカベッシュのもとになった古代ペルシャの元祖・南蛮漬け)
・フィリョース(がんもどきの原型といわれるポルトガルのお菓子)
といった、聞き慣れない料理を食べました。
「洋食のルーツになった世界の古典料理を食べる会」でのことです。
この会は、e-food.jp代表の青木ゆり子さんが、新著『日本の洋食 ~洋食から紐解く日本の歴史と文化』(ミネルヴァ書房)を出版されたのを記念して、洋食の源流を食べようというものです。
青木さんの新著は、単に日本の洋食の蘊蓄を並べるだけではなく、その洋食の元になった西洋料理をたどり、さらに、その西洋料理に影響を与えた各国の料理にまで遡って行こうというもので、大変画期的と思います。
「洋食」と言いながら、実はヨーロッパ諸国の料理は、もともと古代ペルシャやインド等に起源があったり、東洋の影響を受けたものが少なくないのでした。
さすが、「世界の料理」を伝えてきたe-food.jp代表らしい視点ですね。
ご馳走様でした。

追伸1、青木ゆり子さんと私が7/22の15時半よりトークショーをいたします。ご興味ある方は、コメント欄にご芳名とメルアドをお書き込み下さい。ご案内致します。

追伸2、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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梅雨明け宣言

西日本の水害で関東の梅雨明けもどこへやらですが、
観測史上始めて6月に梅雨明け宣言が出された、その日に、
忘年会のご予約を頂戴しました。
この暑い最中に、また西方は水害の最中に在り難いことだと思いました。
もしかして「暑くなったら忘年会を予約する」と決めておられたのか。
思えば、暑いと思っても、いつまでも暑いわけではないですね。
今日を乗り切るのも大変ですが、先のことも考えないとですねえ。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

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洪水ノ実況

「浅草公園六区洪水ノ実況」
という絵葉書があります。
たまたま歴史好きの知人がSNSに上げていたのを見かけたのですが、そのすぐ後に西日本で水害が起こり、なんとも申し上げようがありません。
この絵葉書を見ると、六区興行街の中心部が、人の腰の高さまで浸水している様子に驚くとともに、その写真を絵葉書にして売るという商魂にも驚かされます。
この水害が起きたのは、明治43年(1910年)です。「明治43年の関東大水害」と言われるもので、死者769人・行方不明78人・家屋全壊2.121戸、家屋流出2.796戸にも上る大参事だったそうです。
これ以降浅草は水害に遭っていません。
水害に遭わなくなったのは、明治43年の大水害に危機感を覚えた当時の政府が荒川の流路掘削を決意したからです。
江戸時代、荒川と隅田川はつながっていて、水運の大動脈でした。弊ブログの6月25日号でご紹介した、ギャラリー・エフさんの蔵が建てられたのも、水運がもたらす富が浅草に落ちたからです。荒川が隅田川へ流れこんでいるのですから、水量が多く、物資の輸送には便利でしたが、ひとたび水害が起きると惨事になったのです。
そこで政府は「荒川放水路」を掘削することを決定します。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、17年がかりの難工事の結果、荒川の水はかなり東方・現在の江東区・江戸川区の境へと流れることになりました。
この新しく太い流路が、やがて荒川の本流と認定され、江戸時代には荒川の本流であった現在の「隅田川」つまり岩淵水門より下流の部分が「隅田川」と呼ばれるようになったのでありました。
以来浅草は水害に遭っておらず、現在の水害ハザードマップでは荒川周辺の危険度が高いと評価されています。
地球温暖化の時節、荒川流域にお住まいの皆様は、充分にお気をつけいただきたいと存じます。
最後になりましたが、このたびの豪雨で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

入谷田圃と朝顔市

慶應義塾の機関誌『三田評論』には毎号、同じテーマで4人の塾員が投稿する「社中交歓」というコーナーがありますが、7月号のテーマは「朝顔」でした。
そしてそこに台東三田会の先輩である宮川幸雄さんが「入谷田圃と朝顔市」という文を寄稿しておられました。
上野台の落葉が、その東に位置する入谷田圃に堆積して、朝顔の栽培に向いていたこと、
江戸時代、朝顔栽培家が競って、様々な色の朝顔の開発し、その色合いが歌舞伎の舞台の色づかいにも影響を与えたこと、
などが書かれていて勉強になりました。宮川先輩は博学な名文家で、しかしいつも筆致は穏やか。大変参考になります。
しかし!私にとってよりインパクトがあったのは、その隣に掲載されていた、榊原康文教授の「アサガオの全ゲノム解読」という文です。
ここから「朝顔」ではなくて「アサガオ」になりますが、アサガオの全ゲノムの98%は解読済みだというのです。そして江戸時代の朝顔栽培家が開発した、色々な変異朝顔の原因も特定されているのだとか。
例えば「渦小人」は「植物ホルモンの合成に関わる酵素の遺伝子に変異がある」のだとか。よって、鑑定によりその遺伝子をもった種を見つければ、楽々「渦小人」を造れるそうな。
アサガオがそうなら、ウシもブタもトリも、やがて「丸わかり」になるのでしょう。
産地ブランドなんか、押し出そうとしている場合じゃないと思いますよ、もう。
あ、そうそう、入谷鬼子母神の朝顔市は昨日で終わりでして、今日と明日は浅草寺の「ほおづき市」です。お間違いの無きように。

追伸1、青木ゆり子さんと私のトークショー(7/22)にご興味ある方は、コメント欄にご芳名とメルアドをお書き込み下さい。ご案内致します。

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7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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チキン南蛮

7月8日は「チキン南蛮の日」だそうです。
が、7月8日という日の設定については、私はあまり書きたくありません。7=なん→8=ばん、という単なる語呂合わせだからです。宮崎県延岡市が、この料理を街興しのネタとして押し出し行く過程で、語呂合わせで設定したようです。
「すき焼き通の日」(10月15日)は、2008年に平凡社新書「すき焼き通」が刊行された日で、
「適サシ肉の日」(1月15日)は、私が2017年にこのブログで「適サシ肉宣言」をした日ですが、7月8日の方は語呂合わせに過ぎず、なんか他に知恵は無かったのかなあ・・・と思ってしまいますが、延岡観光協会さんは本気のようで、7月8日を「土用の丑」の日のようにしたいんだとか。
まあ、頑張ってみて下さいませ。
話しを戻します。記念日の話しをしたいわけではありません。
延岡の「チキン南蛮」については、私も少しだけご協力申しました、青木ゆり子さんの『日本の洋食』という本にも「南蛮漬けが進化した宮崎のチキン南蛮」という項で登場します。
考案されたのは、昭和30年代のようです。発祥は、大衆食堂の店「直ちゃん」の創業者・後藤直(なおし)さんが、修行中に食べていたこの料理をヒントに、お店のメニューに加えたという説が採られています。
思えば、ポルトガル人が種子島に漂着したのが1543年。そこからおよそ400年近い年月が経過しているというのに、日本人が南蛮人の味を受け継いでいて、さらに新展開を起こした、という事実は驚嘆するほかありません。こういう点を発掘しているのが、青木さんの本の面白いところで、実は22日(日曜)に弊店で、青木さんと私のトークショーを予定しているのですが、宣伝はそのくらいにして、延岡観光協会さんにおかれましては、そういう歴史を大切にした取り組みを考えて欲しいものだと思います。
もう1点、交通整理が必要かと思いますのは、タルタルソースを加えた「チキン南蛮」の存在です。どうも、そちらの方がウケているようです。
タルタルとは当然ながらタタール族あるいは韃靼族のこと。ヨーロッパへロシアから、つまり北西方向から入ってきたものでして、スペイン・ポルトガルを意味する「南蛮」の「南」の字を充てるのは、大きな違和感があります。
揚げ物に、酸味と辛みを加えるという点では似ていますし、実際美味しいので、押し出して行く方向性自体に異論はないのですが、北のものを南と言い募るのは文化的態度とは言えないと思います。
もう1種類の、別のものとして設定し直して、食べ比べするのが楽しいと思いますよ。
名前は、そう、
北南蛮!

追伸1、青木ゆり子さんと私のトークショー(7/22)にご興味ある方は、コメント欄にご芳名とメルアドをお書き込み下さい。ご案内致します。

追伸2、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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大人のキッザニア

たまたま点けたテレビで視た時、
これは良いなあ!サイコーだなあ!
とすぐに思いました。
「大人のキッザニア」。
つまり「キッザニア」を大人が利用できるプランがあるのだそうです。
「キッザニア」は有名ですが、念のため説明しますと、
憧れの職業にチャレンジし、楽しみながら社会の仕組みを学べる職業・社会体験施設が「キッザニア」です。3分の2サイズの街の中で、お菓子職人、ピザ職人や消防署、運転士など約100種類の仕事やサービスを体験できます。
「キッザニア」を運営するKCJグループの住谷さんは、国際観光日本レストラン協会でご一緒する機会があり、素敵な経営者の方だとひそかにレスペクトしておりましたが、今回のアイデイアもサイコーです。
SNSでは「大人のキッザニア」に15万4千いいね!が来たそうです。
「おれ、パイロットになりたかったんだよなあ」
「本当は看護師が夢でした」
「過ぎ去った思い出がダダ洩れで、帰ってから少し泣きそうになった。めっちゃ楽しかった」
といった投稿がネットに溢れたそうです。
残念ながら、一般の大人が入場できるわけではないらしく、団体で「貸し切り」する方式なのだそうですが、一般向けにもやって欲しい、という要望が多数寄せられるのは確実でしょう。
サイコーだと思います、このアイデイア。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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蕎麦クイズの正解です

<昨日の蕎麦クイズの正解です>
Q江戸っ子は蕎麦を粋に食べることを大変重んじ、蕎麦を食べることを「食べる」と言いたがりませんでした。では、粋な江戸っ子は、蕎麦を食べることを何と言ったでしょう?
A蕎麦をたぐる 
Q江戸時代に江戸で蕎麦が大流行したのは、健康食品として食べられていたからですが、さて、蕎麦にはどの病気を予防する効果があるでしょうか?
A脚気 
(解説)江戸の人々は、白米ばかりを食べたことによりビタミンB1欠乏症すなわち「脚気」になりました。脚気は「江戸患い(えどわずらい)」とも呼ばれるほどでした。
Q江戸っ子が死ぬ間際に「一度でいいから蕎麦をつゆにたっぷりつけて食ってみたかった」と言い残して事切れる、という有名なオチを落語に付けたのは、十代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)でしたが、さて、その噺の題名は何でしょう?
Aそば清(せい)
Qそば屋の屋号には「〇〇庵」と「庵」が付いていることが多いですが、これは、あるお寺のお坊さんが、そば打ちの名人で、江戸時代のそば名人番付で有名だったからです。さて、そのお坊さんのいたお寺は、どこにあったでしょうか?
A浅草
(解説)西浅草の、現存しない「称往院」境内にあった「道光庵」という塔頭の僧が有名で、「そば切り寺」の異名がついたほどでした。
Q地方の蕎麦の問題です。一口大の蕎麦を給仕係が客のお椀に投げ入れ、客がそれを食べ終わるたびに、次々とそばを入れ続けるというスタイルの蕎麦は「わんこそば」と言いますが、そのわんこそばの起源は、とある人が蕎麦を何杯もおかわりしたからだそうです。さて、そのおかわりした人とは誰でしょう?
A盛岡南部家の当主・南部利直
Qそば店の名前の問題です。次の3つの蕎麦店の内、神田にないのはどれでしょう?
A更級堀井
Q蕎麦を決まった日に食べる風習としては「年越し蕎麦」が有名ですが、さて、日本人のずばり何パーセントが大晦日に蕎麦を食べるでしょう?
A57.6パーセント
<皆さんは、何問できましたか?!>

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蕎麦クイズ

「浅草うまいもの会」の総会が、蕎麦の「尾張屋」さんでありました。
毎度余興担当の私は、「蕎麦クイズ」を創りました。
さて、皆さんは、何問できますか?全部三択です。
<蕎麦クイズ>
・江戸っ子は蕎麦を粋に食べることを大変重んじ、蕎麦を食べることを「食べる」と言いたがりませんでした。では、粋な江戸っ子は、蕎麦を食べることを何と言ったでしょう?
1蕎麦をひねる 2蕎麦をたぐる 3蕎麦を流す
・江戸時代に江戸で蕎麦が大流行したのは、健康食品として食べられていたからですが、さて、蕎麦にはどの病気を予防する効果があるでしょうか?
1梅毒 2脚気 3盲腸
・江戸っ子が死ぬ間際に「一度でいいから蕎麦をつゆにたっぷりつけて食ってみたかった」と言い残して事切れる、という有名なオチを落語に付けたのは、十代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)でしたが、さて、その噺の題名は何でしょう?
1そば清(せい) 2そば甚(じん) 3そば勘(かん)
Qそば屋の屋号には「〇〇庵」と「庵」が付いていることが多いですが、これは、あるお寺のお坊さんが、そば打ちの名人で、江戸時代のそば名人番付で有名だったからです。さて、そのお坊さんのいたお寺は、どこにあったでしょうか?
1芝 2本郷 3浅草
・地方の蕎麦の問題です。一口大の蕎麦を給仕係が客のお椀に投げ入れ、客がそれを食べ終わるたびに、次々とそばを入れ続けるというスタイルの蕎麦は「わんこそば」と言いますが、そのわんこそばの起源は、とある人が蕎麦を何杯もおかわりしたからだそうです。さて、そのおかわりした人とは誰でしょう?
1遠野の座敷わらし 2盛岡南部家の当主・南部利直 3岩手山の鬼
・そば店の名前の問題です。次の3つの蕎麦店の内、神田にないのはどれでしょう?
1やぶそば 2まつや 3更級堀井
・蕎麦を決まった日に食べる風習としては「年越し蕎麦」が有名ですが、さて、日本人のずばり何パーセントが大晦日に蕎麦を食べるでしょう?
132.5パーセント 257.6パーセント 375.8パーセント
<正解は明日の弊ブログで!>

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南スーダン

学校の同期生が南スーダンに赴任するということで、壮行会が開かれました。
あの自衛隊の日報隠ぺい問題の、南スーダンです。
大統領派と反大統領派の間で停戦が発効したと言いながら、まだ「安全」からはほど遠く、首都の外に出るのは絶対にNG。首都の中でも防弾車で移動することになるだろうと言いますから、実に物騒です。
聞けば、スーダンの政情不安は根深いです。
南スーダンは1877年にイギリスに占領され、1947年の「ジュバ会議」により南北スーダンの統合が決められたものの、南北の反目は最初からひどかったようです。
北はイスラム教徒が多く、南にはキリスト教徒など多く、その南に在る資源を得ようと、北が南を支配したので、南の住民の間に不満が高まり、1955年に第一次スーダン内戦(~1972年)、1983年には第二次スーダン内戦(~2005年)が起きました。この内戦により約250万人の南部人が亡くなったというから大変なことです。
長い内戦を経て、南が北から分離独立したのは2011年。しかし、今度は南部人の間で、内戦が起きてしまいました。今の戦闘は、これです。
さて、その物騒な南スーダンへ、わが同期生が何故行くか、です。
彼は、実はアフリカのベテランで、ガーナ・タンザニアなどで援助の仕事をしてきました。得意の野球を教えて、その話しを本にしたりもしました。
ところが、それらの安定した国々はもう発展の入り口に立っていて、援助するというよりは、経済を活性化させる段階だと言うのです。それは彼の得意ではありません。
で、本当に援助を必要としている国へ、人生の後半戦で自分は行きたい、と言います。
一同感服。
ご安全を心より祈念します。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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陸軍御用

不勉強なことに、そういうすき焼き屋さんがあったことを存じませんでした。
報道で初めて、その旧店舗が取り壊されたことを知りました。
取り壊されたのは、老舗すき焼き料亭「信田(のぶた)」さんの店舗です。
所在地は、以前は群馬県内有数の花街として知られた高崎市柳川町。2010年に営業終了した後も姿をとどめていたそうですが、この6月に解体・撤去されたそうです。
「信田」さんは明治20年代の創業と言われています。西洋料理もやっていて、すき焼き専門というわけではなく、戦前は陸軍の将校たちが通う社交場という感じだったようです。
新潟県の新発田には料亭風のすき焼き店「八木」さんがあり、かつては陸軍歩兵第16連隊に愛され、今でも自衛隊の人たちに愛されていますが、高崎も事情が似ていて、ここには第15連隊がありました。
こういう土地には、大勢で宴会を出来て芸者衆を呼べる店が自然と出来ました。で、メインの料理がすき焼きだったということだろうと思います。
戦前の「信田」さんの広告を見ると、「陸軍御用」「牛肉」「西洋御料理」と書かれていて、仲居さんはエプロンを付けています。
今回の報道を受けて、群馬の肉方面の知人から「群馬のすき焼きを語る折には欠かせぬ店」だったと惜しむ声が届きました。
廃業なさった2010年は、私が「すきや連」を始めた2008年の少し後で、その時は営業されていたのですから、丁寧に調べて、ご縁を創っておけばよかったと悔やまれます。
今回、建物を残して古民家再生することも出来なかったようです。残しておけば「かつてすき焼き屋だった」ということが記憶されるはずですが、完全取り壊しなので、それも叶わないようです。残念ですね。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.048日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。