浅草オペラのことを調べていて、私が悲しく思いますことは、その経営のまずさです。
ほぼ同時期(1914年)に設立されて、上演内容的にも遠くない宝塚歌劇の、今日の盛業ぶりと比較する時、浅草オペラの末路の惨めさが際立ちます。スター俳優で幸せに死ねた人が、とても少ないのです。
その公演時間は、朝10時から夜11時までの、なんと12時間公演。休演日無し。
休日が無いので、次回公演の稽古は、今やっている公演の終わった後、真夜中にやっていたそうです。2時までとか、3時までとか。
これでは体がもつ筈がありません。
人材不足もひどいものでした。
養成所を持たないので、募集広告で集めた子をすぐ舞台に上げます。バレーの基礎教育の無い者が踊るのですから当然不格好ですが、それがかえって親しみ易く感じられて人気が出たとか。
要するに、若い女の脚が観たい!という感覚でしょう。やがて浅草オペラは芸事よりもゴシップで有名になって行きます。
一座の幹部は、1916年に解散した帝国劇場歌劇部の残党が中心でしたが、それに続く人材があまり登場しなかった為、幹部がもめて退社したり、病気に成ったりすると、たちまち一座崩壊の危機に直面します。離合集散がはげしいのは、そのためです。
浅草オペラの年表を見ながら私が連想するのは、ユリ子劇場・・・
えー、話しを戻しますが、あれだけ人気があって儲かっていたのに、こうした体制を改められなかった為、浅草オペラは短命に終わりました。浅草オペラが終わったのは、関東大震災のためだけではなく、震災が来る前から運命は決まっていたと思います。
逆に偉大さが鮮明になるのは、宝塚の創始者・小林一三です。世界の興行の業界で、創始者の遺志が継承され続けていて、なおかつ盛業と言えるのは、バイロイト祝祭歌劇、ウォルト・ディズニー社、宝塚歌劇くらいのものでしょう。(劇団四季も大層なものですが、浅利慶太さんがお元気なので、ここには入れません。)
今時は、ソフトパワーを経済の核にして行こう、という話しになっていると聞きますが、そのためには興行ビジネスが上手に運営されねばなりません。その流れの中で、浅草オペラは「他山の石」として有益な教材と申せましょう。
浅草オペラの教訓を活かして欲しいと願います。
追伸
ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。こちらのURLで視聴可能です。
*この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものです。どうぞ、ご覧くださいませ。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.781日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。