旧町名②
このブログの昨日の号に書いたような次第で、「ちんや」で勝手に、浅草の旧町名の宣伝をすることにしました。
実は以前から、「ちんや」の個室の名前には、浅草近辺の旧町名を使っていたのですが、その由来を簡単に書いたカードを各部屋に置くことにしました。そのカードを部屋に入った人しか見られないのでは、もったいないので、ここでも公開しています。
今日は、その2日目です。
<並木>
現在の台東区雷門二丁目付近の地名です。
奥州街道に接し、松並木があったことから並木町となりました。
現在の、浅草寺・雷門前の並木通りは、浅草の表玄関としての役割にふさわしい町並みに整備されております。地下には、公共駐車場があり、来街者の利便性向上に貢献しています。
<馬道(うまみち)>
馬道通りは、東武線浅草駅前より北方向へ、隅田川の西側に並行して伸びる通りです。
地名の由来は、古く江戸時代に遊客が馬を利用して新吉原へ通う道筋であったから、または浅草寺境内の馬場に行く馬の道だったから、などと言われています。
戦災で全焼するまでは、呉服屋、足袋屋、袋物屋といった老舗が多く、それだけに由緒ある町のムードがあったと伝えられています。
戦後再建され、現在も和装関係、履物関係の店舗が並んでいます。
<今戸(いまど)>
浅草北方で現在でも使われている地名です。
台東区今戸一丁目の今戸神社は、元は今戸八幡宮と称した御社で、康平6年(1063年)源頼義、義家父子が奥州征伐の折、京都の岩清水八幡宮と鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮を浅草今津(現今戸)に勧請して創建したものです。
浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られており、「下町八社巡り」の内の一社です。
江戸時代、この神社の周辺では「今戸焼」が焼かれおり、商売繁盛の象徴「招き猫」などの土人形や、日用雑器、火鉢、植木鉢、瓦などが造られておりました。一時その伝統が途絶えかけましたが、近年有志の職人さんが復興させました。
(浅草付近の旧地名終わり)
追伸①
「仙台牛」の販売を始めました。震災の当日にも「仙台牛」を仕入れましたが、それ以来の仙台牛です。データ=宮城県大崎市・遠山明牧場産、黒毛和種牝牛、個体識別番号:12041-78434。
「食して繋がる、食して支える、浅草から東北へ。」
追伸②
「青森・岩手・宮城・福島・茨城五県蔵元連合試飲会@浅草in三社祭が開催できない、その日に開催!」の様子を撮影した動画を、こちら(YouTube)にUPしましたので、是非ご覧下さい。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて481連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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