新しいキャッチフレーズ

 GW連休後半の浅草は、久しぶりの賑わいを見せました。

 JTBさんのアンケートなどでも「日帰りできる、近場で過ごす」という回答の人が多かったので、予想はしていましたが、ここまでの人出があるとは予想以上でした。

 賑わったといっても、勿論、日本経済が復活したハズもありません。今この瞬間も、東京からお客様が来なくて辛い思いをされている、地方の旅館の方・ホテルの方がおいでと思うと心苦しいです。しかし、この人出が、我々にとって、いっときの慈雨であったことは申すまでもありません。

 こういう場合、困りますのは料理屋にとっての慈雨というヤツは、全て人間の形をしてることです。そう、お客様のお相手をシッカリやらないと、慈雨も慈雨にならないわけです。弊店の場合、震災不景気に対応して、スタッフの人数を絞り込んでいた所への慈雨でしたので、タイヘンでした。

 例えば館内清掃の一部を外部業者に委託していたのを、自分達でやるように変更しました。当然、朝からひと働きして、その後で⇒お客様相手の営業となります。楽ではないですね。

 洗い場も統合しました。地下1階にカジュアルなレストラン「ちんや亭」というのを持っていて、そこにも独立の洗い場があって専属のパートさんがいましたが、その洗い場を廃止にしました。すき焼き「ちんや」の洗い場へリフトで洗い物を揚げて、集中的に作業するようにしました。

 その専属のパートさんには定年を3ヶ月繰り上げて上がってもらいました。「ちんや亭」の営業は昼時だけですので、それをなんとか・かんとか「ちんや」の夜の営業が忙しくなる前に洗ってしまおう、という計画です。これも勿論、楽ではないですね。

 今回のGW連休は、そういう人員配置の変更=平たく言えばリストラをした上で迎えました。だからハードだったことは申すまでもありません。しかし御蔭様で、さしたるトラブルもなく、業務に破綻をきたすこともなく、無事営業を終えました。本当に有り難いことです。

 だから、後の世になって「ちんや」の歴史を振り返る機会があったら、今のこの時期は必ず記録に残されるべき時期だと思います。社史というのは、えてして会社が成長した時に偏って書かれがちですが、「ちんや」においては、そうあってはならないと思っています。

 今、この厳しい時を支えてくれた、スタッフ〜中には転んで足を挫いたのに包帯で固めて出勤してきた者もいました〜こうしたスタッフの名前全員が記録されないといけません。

「ちんや」だけでなく、すべての店・すべての会社で、今この時を支えている人は全員、それをやり遂げれば、後で歴史に残る、という名誉を与えられるべき人達です。

 新しいキャッチフレーズを思いつきました。

 歴史に残るぜ、オレ達!

追伸①

 「青森・岩手・宮城・福島・茨城五県蔵元連合試飲会@浅草in三社祭が開催できない、その日に開催!」の、蔵元さんからの出品の申込締切日は5/2でしたが、一部から延長要請がありましたので、5/6までのばしました。よろしくお願いします。

追伸②

 仙台牛メニュー提供しています。普段より高い値段で、お買い求めいただき、利益を被災地の畜産関連団体に贈ります。弊社も利益の一部を供出いたします。

 その仙台牛ニューに、寄席文字の橘右之吉師匠(@unokichit)の「がんばろう日本」千社札シールを貼り付けたら、売れ行きが格段に上がっています。さすが伝統の文字。

 在庫が少なくなってきましたので、早めにご来店を。

 なお牛は、宮城県登米市・千葉正憲牧場産、黒毛和種牝牛、個体識別番号=03686-13232。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて432連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 「ちんや」創業130年記念サイトは、こちらです。「すき焼き思い出ストーリー」の投稿を募集しています。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。震災不景気でヒマなのでTwitterのリストを作りました。リアルに存じ上げている方のみのリストです。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)