江戸歴史探索ガイド

 文化図書さんが、これから出版する「江戸歴史探索ガイド」という本に、弊店所有の開化絵を掲載させて欲しい、と連絡してこられました。

 この御本は、

「歴史研究者の観点からみた、いまだ明らかにされていない多くの歴史的事実を、一般向けのおもしろ読み物として編集。

 また、さまざまな歴史的場面を現代の東京で探索できるガイドブックとしての要素も兼ね備える。」という企画だそうで、

「ちんや」の絵が掲載されるのは、「蔦屋重三郎からみた江戸の大衆文化と遊郭」という項目です。

 掲載ご希望の絵は、「東京花猿若三櫓繁栄開看図(とうけいのはなさるわかさんやぐらはんえいかいかんのず)」という絵で、二代目歌川国輝の、明治4年(1871年)の作品です。

 この作品は、天保13(1842)年から、明治前期まで浅草猿若町(=現在の言問通りの北側)にあった、芝居街の様子を描いたものです。

 三櫓とは中村座・市村座・守田座のことで、歌舞伎を上演した芝居小屋三座のことです。三座は天保13年に、幕府の方針により、それまであった江戸中心部から浅草猿若町に移転してきました。

 坂東三津五郎、尾上菊五郎など、その子孫が今も著名な役者の幟が画面に見えて、賑やかです。

 市中最大の興業街を形成して、吉原とともに、江戸二大悪所(!)として有名でした。

 この絵は、明治に入ってからすぐ描かれた作品で、人力車が描かれていますが、江戸時代の芝居町の、雰囲気は伝わってくると思います。

 その後、明治22年までに、三座はあいついで他地区へ移転し、興業街は衰滅しましたが、隣接して形成された花街は現在でも盛業です。
 絵師の二代目歌川国輝(うたがわ くにてる:1830〜1874年)は、本名山田氏。一曜斎などと号した、三代目歌川豊国の門人。

 明治初期の文明開化の風物をよく描いた、代表的な開化絵師の一人です。

 掲載の件は、もちろん喜んで許可しました。

 私の肖像Photoも、ご希望なら喜んで!

*絵の画像はこちらで、ご覧になれます。

 本日、このブログは250日連続更新を達成しました。いつも最後まで読んで下さって、ありがとうございます。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 「ちんや」創業130年記念サイトは、こちらです。「すき焼き思い出ストーリー」の投稿を募集しています。

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Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)