円太郎バス

都営地下鉄浅草駅の通路に、面白い広告が出ています。

「円太郎バス」が重要文化財に指定されたことを紹介する内容です。

「円太郎」は関東大震災(1923年)の後に登場しました。震災によって市電(路面電車)が壊滅的な被害を受けたので、その代わりとしてフォード車の自動車を800両も購入して乗り合いバスにしたのです。これが公営バスの先駆けとなりました。

この広告を見て私は、そうか、バスが登場したのは、市電の後だったなと再認識しました。

大正時代の「ちんや」を撮影した写真がありますが、写っているのは市電と自転車です。バスも、普通の自動車も写っていません。

震災がキッカケになって、東京では自動車の導入が進んだのだなあと分かります。

「円太郎」は「乗り合いバス」と言っても、可愛いサイズでした。

全長は5メートルもなく、11人乗りとされていましたが、全員乗るとかなり窮屈だったそうです。

それがやがて大型化して、現代の都営バスになります。

災害が進歩のキッカケになることもあるのですね。面白い歴史です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.087本目の投稿でした。

Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)