住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その9

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その9です。

<29大ニュースその9>
2014年5月 「思いを包む包装紙」=「すき焼き川柳包装紙」を作成しました。前年の「すき焼き川柳コンクール」に入選した句を刷り込みました。

「すき焼き川柳包装紙」が、この年の三社祭の日に出来上がりました。
この包装紙には、前年秋に募集した「すき焼き川柳コンクール」の優秀句を刷り込みました。嬉しい句が並んで最高の気分でした。(句の一覧は、こちらです)
そもそも食事の思い出を記す方法として川柳は一番素敵ですね。それに、すき焼きほど川柳に合う料理は他にないとも思います。川柳は、日本人とすき焼きの繋がりの深さを、あらためて教えてくれます。
そして何より、この店で働く私達にとってはヤル気の源になります。ここに書かれている様な幸せの為に働いているんだということを、川柳は思い出させてくれます。在り難いことです。
つまり「すき焼き川柳包装紙」は2010年から提唱している「すき焼き思い出経営」路線の、もう一つのバリエーションと言えます。
その後も毎年募集を行って、毎年川柳包装紙を創り続けています。こんな包装紙はなかなか無いと思っています。
川柳をご投稿いただきた皆さんには、感謝の一語です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その8

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その8です。

<29大ニュースその8>
2013年7月 ハート型牛脂の名前『牛ゅっとハート』が、商標として正式に特許庁に登録されました♡

商標『牛ゅっとハート』が登録できました。
登録第5599742号♡商品区分♡第29類♡牛脂♡商標権者♡株式会社ちんや♡登録日♡平成25年7月19日
GW連休前に出願して、「半年かかる」と言われていましたが、意外に早かったです。
まあ、こんな滑稽な商標を、しかも脂という分野で出願するヤツなど他にいないでしょうから、審査はアホみたいにカンタンだったかもしれません。弁理士の先生も商談中笑ってばかりでした。
さて、こんな商標登録をすることについて「???」と思っている方も多いでしょうから、ここで改めてお話ししておこうと思うのですが、そもそも、
『牛ゅっとハート』はハート型に成型した、牛の脂です。すき焼きをする時に、最初に鍋に敷く、あの脂です。
ネーミングは社内で投票をして、その中から選びました。なかなか上手いネーミングだと思っています。
ネーミングは上手いと自賛しておりますが、牛脂をハート型に成型する技術自体は、そんなに難しいことではありません。以前にも誰かがやっていたかもしれません。
しかし私ほど、このハート型牛脂に執着して、商いの根幹に据えようと考えた者はいないと思います。
すき焼きという料理は、人のハートと人のハートが触れ合う席で食べる料理で在って欲しい、そういう私の心底からの願いを、この商標が象徴しています。
創業130周年の年である2010年に、私は弊社の経営理念を「心に残る思い出を」にしましたが、ハート型牛脂は、その「思い出経営」路線のシンボルの一つです。それで執着したのです。
だから、以前に試した誰かと私を区別したいです。区別するためには、
・名前を付けること、
・その名前を天下に公表すること
が必要だと考えました。で、商標登録なのです。
話しはやや大げさに成りますが、これにより私と「ちんや」は「オンリーワン」の存在に成ります。そうなれるようにするのが「知的財産」というものだ、と私は認識しています。
「ちんや」で記念日のお食事をなさる際にご注文いただければと思います。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その7

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その7です。

<29大ニュースその7>
2013年1月 母校・慶應義塾中等部(=慶應大学の付属中学校)の「キャリア講座」に出講しました。演題は「会社を継ぐ、という人生」でした。

母校の「キャリア講座」に出講しました。これは毎年開講されているレッキとした正規の授業でして、中学生のためにOBが自分のキャリアについて話すのです。講演はたまにお引き受けしますが、母校の後輩に相手に話すのは特別な気分でした。
さて、お引き請けしまして、私は、その演題を「会社を継ぐ、という人生」にしました。
10人の講師が出て、生徒さんは、その中から自分が聞きたい話しを選択できるのですが、私以外は学者さんとか、弁護士さん・お医者様・アナウンサーのお姐さんとか、当然ながら非世襲組です。
当初自分が世襲社長であることを鮮明にしたものかどうか、迷いましたが、この際ハッキリさせてお話しするすることにしました。その方が聞き手の側も講師を選び易いだろうと思ったからです。
で、気になる順位ですが、、生徒さんの集まり具合は、どうやら10人の中で真ん中辺りのようでした。私以外は華やかな職業の方ばかりですから、最下位でなくて不思議な気分でした(笑)
講演内容は弊ブログに載せてありますので、ご興味のある方は、こちらをどうぞ。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その6

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その6です。

<29大ニュースその6>
2012年6月 月刊『料理通信』に服部幸應先生が連載なさっている「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーに載せていただきました。

29大ニュースの中にメデイア掲載事例も入れたいところですが、どの掲載事例も在りがたいので、どれにするかは迷いますね。
結局、料理関係の専門誌で、専門家の方が書いて下さったケースにしました。
月刊『料理通信』には「Mr.食育・服部幸應の「世界に伝えたい日本の老舗」というコーナーがありまして、光栄なことに、その「世界に伝えたい」店として、弊店をお採り上げいただくことになった次第です。実に有り難いことでした。
この「世界に伝えたい日本の老舗」コーナーの考え方は、
「老舗は(中略)お客さんとの長い友好関係が継続の大きな鍵を握ります。」
「日本の食文化が独自の成熟に至ったのは、その背景に日本ならではの「店と客の関係」があるからではないでしょうか」
「老舗から垣間見える日本の成熟した食文化を紹介していきたい」
と、いうことで、私の考えと近くて素晴らしいなと思いました。
先生と完全に合致するか分かりませんが、私なりにこの話しを解釈しますと、特定の店に特定の客の一族が通う、ということが少なくとも二世代続いて、ようやく老舗だと思っています。自分の子に安心して食べさせる、ということが、やはり必須の要件だと考えます。
自分で「老舗」を自称することは、基本あまりしませんが、内心では、そう区別しています。
思えば、その意味で、浅草は老舗が成立しやすい環境です。
まず、なにしろ繁華街としてのキャリアが長く、街としての誘客力があります。
加えて、もう一つ重要なことに、浅草周辺に御寺がたくさんあります。そして、その墓地に眠っておいでの御骨の人数は、台東区の現在の人口より多いと思われています。ここがポイントです。
こうしたお墓に、お彼岸・お盆・お正月にお参りし、帰りがけに飲食なさる方々が、浅草の老舗を支えて下さっています。
二世代どころか、五世代以上通っていただいているご家庭もあります。現場に出ると、
「自分が小さい頃、爺さんに「ちんや」さんに連れて来られたんだよ!」
と80才過ぎの方から聞かされたりします。有り難いことです。
そして、そう話される傍らには、その方の、もう結構大きく育った、お孫さんがいたりします。そのお孫さんが結婚されてお子さんが出来れば、六代ですね。
是非さらに、代を重ねていただきたいものだなあ、
と、老舗に関する、この取材を受けつつ思いました。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その5

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その5です。

<29大ニュースその5><29大ニュースその5>
2012年4月「ニッポン全国彪友会―台東万博!」を開催しました。

二条彪先生に師事する経営者の皆さんが全国から浅草へ集まる会「ニッポン全国彪友会~台東万博!」を主催しました。各地から200人弱の企業経営者にお集まりいただき、二条彪先生の講演を聞いていただいた後、懇親会をいたしました。
会名を「台東万博!」と名りましたが、何の万博かと申しますと、人の万博。熱い熱い会になったと思います。私は「台彪会」会長として、会を主催しました。
そもそも「台彪会」は東京都台東区が主催する「台東区若手経営者サポートセミナー」の受講生のグループです。セミナーの講師は、言うまでもなく二条彪先生。2005年から、区のセミナーとして珍しいことに続けて開講されていて、2012年時点では7年目でした。
そのセミナーを受講する、中小企業経営者の仲間が、セミナー3年目の頃つまり2007年頃から自然発生的に結成いたしましたのが、この会です。
最初の内は、もっぱら飲み会やら忘年会やら、どちらかと申しますと、お楽しみの会でございましたが、次第に二条先生の、熱い講義に打たれて、「もっと勉強したい」という話しが持ち上がってまいりまして、自主的な勉強会を、セミナーの開始1時間前に集まってするようになりました。
さらには座学だけではなく、お互いの会社や工場を訪問して見学しあおう、という話しにもなり、セミナーとは全く別の日に集まる機会を持つようになりました。「台彪会」という名前を付けましたのは、この頃でした。自分で申しますのも僭越ですが、地域彪友会の、魁の会と自負しております。
その「台彪会」が、全国の皆さんに呼び掛けて、お集りいただきました。結果盛況で嬉しい限りでした。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その4

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その4です。

<29大ニュースその4>
2011年9月 <大震災6ヶ月―全ての食材を東北+北関東から集めた、住吉史彦の会!>を開催しました。

会の趣旨はタイトル通り、全ての食材を東北+北関東から集めた、私の知人たちによる宴会でした。
この会は、ご案内先を、飲食業界・食品製造業界の方にしました。この時点で放射線についての風評被害はまだ大きく、安全が確認されている場合でも、一般の方相手に東北の食材を食べましょう!とか呼びかけづらい状況でした。
「ちんや」は、あやうく免れましたが、この問題で「人形町今半」さんは、アンラッキーな口に入ってしまわれました。「三嶋亭」さんもアンラッキーな口でした。
東京都食肉市場で、9月から全頭検査が開始されましたので、この問題は牛肉に関しては「一件落着」を見たわけですが、7月のはじめから今月までの2ヶ月間、私自身も生きた心地がしなかった、というのが実感でした。店の売上はガタガタでした。
そこでこの日は、食べ物に関係している皆さん、つまり食品の売り手の皆さんにお越しいただき、東北の食材を売って行く当事者として、議論しながら食べる会にしました。
そういう時に食品産業の経営者として、どう対応するのか、というのが当然大問題ですが、これは予習をして、覚悟を決めて臨める話しではなくて、ある日イキナリ、そういう局面に自分が入っていたりするというのが、この年の現実でした。イキナリ人生観とか価値判断を要求される状況でした。
で、むしろ、その状況を、無理やりでも面白がって生き抜くしかないのかな、というのが、この会の趣旨でした。そういう仕事は、ギリギリの仕事ですが、やり甲斐があるわけです。
何十年か後になって、あの頃は、本当にヒドい時代だったけど、まあ、やり甲斐もあったね、俺達がいちいち、ギリギリの判断をして、今日というものを切り開いて来たんだぜ、って言えるようにできたらいいな!とう気概のもとに開催させていただきました。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その3

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その3です。

<29大ニュースその3>
2011年5月 「青森・岩手・宮城・福島・茨城 五県蔵元連合試飲会@浅草」を開催しました。三社祭が中止になった、その日でした。

この年の3月11日、東北で大震災がありました。
東北の直接の被害が大きかったのは勿論ですが、被害の大きさに衝撃を受けた全国民が自粛ムードに入りました。「計画停電」もあり、夜は家に帰ることが奨励されました。
で、困ったのが酒蔵さんです。
そこで東北の合計67社の蔵元さんに連絡をとって、酒を出品していただきました。その陳列作業には、浅草料理飲食業組合役員の皆さん、また浅草酒販組合さんのマンパワーを集めて当りました。
日程は、三社祭が中止になった、その日に合わせました。
参加者の方ですが、御蔭様で、
・有料で入場された方     194人
・取材で見えた報道機関     7社
・会場に見えた蔵元さん     14社
・ご協力いただいた業者さん   3社
合計              218人・社
と、まずまずの人数が集まり、盛況でした。
入場者の人数自体は「まずまず」という位ですが、そのメンバーは強力です。ほぼ全員が、浅草や東京近辺の料理屋の御主人さん、女将さん、仕入れスタッフの方ですので「酒を購入する」という点では、一般の方の100倍とか、それ以上のパワーのある方々です。そういう方々を、料理屋同士のネットワークで集めました。
購入パワーだけでなく、「あの名店にあの御酒が置いてあった!」という評判の面でパワーを持っておいでの皆さんも、多数参加していただける予定です。本当に心強いことでした。入場者と蔵元さんの、商談も盛り上がっていて、本当に嬉しく思いました。
経験のない事業でしたが、なんとか遂行できて在り難いことでした。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その2

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その2です。

<29大ニュースその2>
2010年12月 ツイッター・ユーザー向け「今こそ宮崎牛を食べる会」を開催しました。

この年の春から夏にかけて、家畜の伝染病である口蹄疫が宮崎県で流行してしまいました。
8月に終息確認が出ましたが、それまでに結局29万7808頭の牛さんを殺処分するという大変悲しいことになりました。畜産関連の損失1400億円、関連損失は950億円と推定されています。この時の処分数が大きかったので、その後今日まで和牛の供給不足が続いています。
「今こそ宮崎牛を食べる会」は、この事態を受けて、宮崎牛のすき焼きを食べるだけでなく、宴会の現場で参加者が、宮崎への応援メッセージを、ツイッターでツイートする、という趣向でした。チャリテイーとツイッターとすき焼きが合体した、史上初(笑)の企画でした。
参加者は多士済々で、談論風発の楽しい一夜となりました。
参加者筆頭は、口蹄疫被害者への応援メッセージを集めながら、埼玉から宮崎まで1500キロを自転車で走った小林大地さん。当日は現役学生でした。
彼が通っている、明治大学商学部・久米信行先生はこの日ご法事で、ご欠席でしたが、講義やツイッターでこの企画を支援して下さいました。宮崎日日新聞さんの取材も入りました。
最初に小林大地さんが自転車の体験談を語り、続いて私が日本の畜産のことをお話ししました。そして、SNSに慣れた人も慣れない人も、スマホをいじりながら、宴会。
この夜集まった方々は「宮崎を応援したい」という以外に、何も接点のない方の集団で、このメンバーで集まることは二度とないでしょう。一期一会の気分でおおいに盛り上がりました。
チャリテイーとSNSとすき焼き、一つの方向性が見えた日でした。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その1

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただきます。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019です。一か月間おつきあい願います。

<29大ニュースその1>
2010年3月 国際観光日本レストラン協会の理事に就任しました。

業界団体の役職は、その後いくつかお引き受けしましたが、最初に任命されたのが、これでした。私は当時45歳。しかも地元の役より全国の役が先。それで印象に残っています。
「国際観光日本レストラン協会」は、全国の素晴らしい料亭さんやフレンチのレストランなど一流店ばかりの集まりでして、「ちんや」ふぜいは、入会させていただいているだけで、有難いくらいの会ですから、理事になることなどはまったく考えていませんでした。当然、私以外の理事さん方は、素晴らしい方・お偉い方ばかりで、年齢的にも私のような若輩者が理事になどとは考えてもいませんでした。
「理事に」という話しがあった時、即座に「いやいや、恐れおおいですから」と言えばよかったのですが、そういう話しが自分に来ることを全く想定していなかったので、どう反応したら良いか、思案している内「いいよね?」と決まってしまいました。
ところで、何で私ふぜいが、協会の「理事に」となったか、ということですが、それはまず、この前年の2月に開催された、協会の総会懇親会を「ちんや」で引き受け、お偉方の皆様をなんとかと接待し、また料理もまずくはなかったからだろうと思います。ですから、私の人物への評価というより、「ちんや」従業員一同の、仕事への評価が、まず第一でしょう。感謝しないといけません。
その他に評価されたポイントがあるとすれば、「すきや連」活動でしょうか。「すきや連」は、この時点でまだ五回目を開催したばかりでしたが、すき焼き屋で、ああいう活動をはじめた人間は、かつていませんでしたし、おかげ様で、毎回大盛況のうちに活動を継続できていますので、協会の大先輩の中にも「あれは、たいしたもんだよ」と言って下さる方がいて、もちろん、出世したくて活動しているわけでは、まったくなく、ものずきでやっているのですが、有難いことだと思っています。
「すきや連」は、その後も続き、2018年には10周年記念会を開催、2019年には第32回を開催しました。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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