住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その14
さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その14です。
<29大ニュースその14>
2015年12月 「ちんや」創業百三十五年を記念して、『読み継ぎたい すき焼き思い出ストーリーの本』を刊行致しました。
『すき焼き思い出ストーリーの本』を刊行しました。
ここに掲載されているストーリーは、一般の皆様から投稿していただいたものです。創業130年の時に投稿を募り始め、5年間貯めて、135年で本にしました。
思い起こしますと、すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。料理は他にいくつもありますが、人々の思い出と一番つながっている料理はすき焼きではないかと私は考えます。
でも残念ながら、そうした思い出話しを纏めて保存したことはなかったように思います。そこで私は皆様にストーリーを投稿していただき、それを本に纏めようと思い立った次第です。
ストーリーを読みますと、感動して落涙を禁じ得ないものから、クスっと笑ってしまうものまで、様々なものが集まりました。
時代背景も、激動の昭和を色濃く映したものから、現代の世相を映したものまで。
様々とり揃えることが出来まして、企画者としてこんなに嬉しいことはございません。店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存するべきものと思っています。
<内容は以下の通りです>
(1章)主の六代 客の六代
~お爺ちゃん・お婆ちゃんからお孫さんまで。絆をつないで来たものは?
すき焼きほどご家族で食べるのにふさわしい料理はないと思います。私・住吉史彦は店に出ていて、ご高齢のお客様から「自分も幼い頃爺さんに連れられて、ここへ来たもんだよ!」とたびたび聞かされました。そしてその方の傍らには可愛いお孫さんが。と、いうことは五代に渡ってご利用下さっているのです。味覚が家族の絆と成り、弊店にはとっては、その味覚こそが本当の財産です。
(2章)昭和に生きて
~生き抜いた先に、食べたくなった料理とは?
「激動の時代」というだけでは表現しきれないほど厳しい時代だった「昭和」。あの時代を経験した人達もだいぶ少なくなりました。戦争というとてつもない理不尽が在り、その分人々は成長というとてつもない渇望を抱いて生きていました。一代で何代分も生きた人達が沢山。そして、その人達が成長のシンボルであるかのように食した料理が、すき焼きでした。
(3章)オラがすき焼き
~家庭ごとに違うすき焼き、地方ごとに違うスキヤキ。なんて面白いのか!
すき焼きは「関東」VS「関西」だけではありません。ご家族の数だけ、街の数だけのすき焼きが在って、そのどれもが後世に伝えたいものばかりです。どれが一番美味しい?と問うのは止めて、全部面白い!と言っていただけたら嬉しいです。
(4章)おご馳走
~人は何故その大切な日にすき焼きを食べるのか?
「ご馳走」に「お」を付けてしまう人を咎めてはいけません。それほど嬉しいのですから。そして、その嬉しい日に食べたのは、すき焼き。嬉しい日だけではありません。悲しみを噛みしめて、「きっとまたいつか」と誓う日にも、やっぱりすき焼き。すき焼き鍋は人の人生を映す鍋です。
(5章)浅草じゃなくちゃ!
~出かけるだけで心騒ぐ街。さて腹ぺコになってきた。
浅草にすき焼き屋が多いのは偶然です。牛鍋が世に登場した時、繁華街としての浅草が全盛期だっただけです。しかし、いつの頃からか、すき焼き食うなら浅草じゃなくちゃ!浅草行くならすき焼き食わなきゃ!と成りました。ゆるゆるのように見えて実はキビシいこの街で、すき焼きが変わらず支持されていることが嬉しいです。
(特別対談「浅草小学校同級生が語る、愛すべき浅草とすき焼き」)
琵琶奏者・友吉鶴心 VS ちんや六代目住吉史彦
本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。