屋台のおでん

浅草のおでん屋「大多福」のご主人・船大工安行さんが書いた本『おでん屋さんが書いたおでんの本』を読んでいます。

この御本は「〇〇屋さんの書いた〇〇の本」シリーズの中で「名著」の呼び声が高い本です。昔の浅草の様子と屋台料理の関係のことが良く分かって面白い御本です。

寿司、蕎麦、天麩羅、おでんと言った屋台発祥の料理は、最も浅草らしい料理と申せましょう。

初期投資が少なくて済む屋台あるいは床店(とこみせ)と言った形態の店は、東京オリンピックの前に「不衛生」ということで追放されましたが、それまでは「ちんや」の在る浅草広小路にもたくさんの屋台が出ていたと言います。

昭和初期の恐慌の頃それまで高級料理を食べていた人達が食べられなくなって、そういう人達が気軽に憂さを晴らすのにおでん屋がちょうど良いという話しになり、それまで数軒しかなかった浅草のおでん屋さんが一気に二十数軒に増えたと書かれています。

「大多福」さんも大正4年に開業した時は床店でした。

床店とは商品を売るだけで人が住まない店のことです。当時たいてい商店には主の家族や奉公人が住んでいましたが、船大工さんのご先祖は土地の持ち主から、そのごく一部だけを借りて小さい店にしたそうです。

戦争も、戦後の浅草が寂しかった時代も乗り越えて、今は立派な店を構えておいでですが、ご主人は、これからのおでん屋は「屋台のおでんに戻って行く」と書いておられます。大量調理の時代になったからこそ、「屋台のおでん」だとおっしゃいます。

今日でもおでん屋とは「憂さを晴らす」為のもの=料理業としての経営理念がそのようにハッキリしているのはとても素晴らしいことと思います。

そう言えば弊店も「思い出をつくる、すき焼き店」。

そこを忘れないようにしたいものです。

追伸、

慶應義塾の機関誌『三田評論』の10月号に出演させていただきました。

『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。

『三田評論』は基本的には定期購読者のみが読む本ですが、紀伊國屋書店の新宿本店で小売りしているそうですから、ご興味のある方はどうぞお求めください。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.062日連続更新を達成しました。