写真帳
浅草観音裏の老舗料亭「一直」(いちなお)のご主人江原さんに、昔の写真帳を見せていただきました。
江原さんは昭和9年のお生まれ。東京都料理業組合の副組合長もなさった料理業界の重鎮です。今は公職は退いておいでですが、元気にお店のカウンターに立っておいでです。
さて、写真帳には戦前の写真がたくさん収められていました。関東大震災後に再建された「一直」さんの建物は実に立派です。
この頃ホテルは未だ少なく結婚披露宴はたいてい料亭でやっていたとかで、それに応えて座敷は広大です。お庭も結構。芸者衆の、妙に盛り上げた髪型は「203高地」と言われていたそうです。あんまり笑えませんな。
戦時色が濃くなると軍人さんが登場します。小磯大将と言ったら総理大臣に成った人ですよね。この頃が日本の花柳界が一番盛大だった時代だと思います。
やがて戦争が長期化すると花柳界は「不要不急の仕事」と呼ばれるようになり、芸者衆は勤労動員に従事させられます。昭和20年3月10日を迎える以前から営業できない在り様だったようです。
そのような状況で早めに疎開したため人命は助かりましたが、店はもちろん丸焼け。
「浅草の花柳界を復興させるために、出てきてください」と、先に戻って営業を再開した料亭さんに呼び出される形で浅草に戻ったのは、昭和26年だったそうです。
この時江原さんのお爺さんは「これからは自分の納得できる仕事をしたい。それには30~40人くらいの客で充分だ」と、店の規模を縮小しました。
その店舗の写真もアルバムに在りましたが、戦前と比べてかなり小ぶりです。
それが結果的には幸いしました。
戦後花柳界が時流に合わないと言われ逆風に苦しむ中でも「一直」さんは堅実な道を歩んで来られました。
特に平成に入ってから、日本人の接待の習慣が批判に曝されるようになり、さらに政治資金の規制強化でかつての上客だった政治家が花柳界から消えてしまい、打撃を受けた店は少なくありませんが、「一直」さんが生き残って今も盛況なのは実に結構なことです。
写真帳、大変勉強になりました。
追伸
デパートの催事に出店して精肉の販売をさせていただきます。
どうぞ、お立ち寄り下さい。
催事名:dancyuフェスティバル~dancyu×髙島屋グルメの祭典~
会期:平成27年10月14日(水曜日)~19日(月曜日)
会場:玉川髙島屋 6階催し会場
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