神田冠称
以前に弊ブログでも書きましたが、私は「旧町名復活」に関心を持っています。
そうしましたら最近の新聞に、神田地区の「旧町名復活」についての記事が載っていました。「旧町名復活」が進んでいない、という記事です。神田は浅草に比べて、由緒ある地名を残しているだけに、残念に思いながら読みました。
今回問題になっているのは、「神田○○町」という「神田冠称」です。
以前は浅草にも「浅草象潟町」という具合の冠称がありましたが、完全に消滅しています。「ちんや」では、それを懐かしんで、個室の名前を「象潟之間」とか名づけていますが、今では全くそれが分からない御客様が多く、
ゾウガタ之間ってなんですか?
とか聞かれる始末です。
キサカタなんですけどね。浅草3丁目に以前、秋田の象潟の殿様の下屋敷があり、その一角が後年町家になったので、その一角を「浅草象潟町」と言っていたのです。
神田の場合は「神田冠称」が現在まで存続している町がある一方、1960年代に冠称が外された町もあります。
神田三崎町と神田猿楽町が、その外された町です。
平成16年に、その「神田冠称」の復活について、住民多数の署名を添えた要望書が提出されたそうなのですが、現在まで進捗していないそうなのです。アンケートを取ると復活賛成が6割、反対4割と意見が割れていて、区役所も判断がつかない模様です。
その反対の理由が残念でした。
名刺や封筒などの変更費用が嵩む、というのは分かりますが、もう一つの理由とは・・・
せっかく三崎町や猿楽町を「山の手イメージ」の町にして⇒地価を上げてきたのに「神田」が付いてしまっては「下町イメージ」に戻ってしまい⇒ビルやマンションが高く売れなくなる!
という不動産屋の意見です。
冗談を言ってもらっては困りますよね。
たしかに、三崎町や猿楽町は、神田駅よりは水道橋駅に近く、オフィスビルが多い辺りですが、歴史的には、神田です。
それを否定する方向性の不動産開発って、どういう了見でおやりになっているんでしょう?
末法の世ですな。
南無観世音菩薩。
追伸①
藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。
他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。
是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
参加者の方には、特典も!
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて864日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
Twitterもやってます。こちらでつぶやいています