浅草とエンコ

先週のことですが、スタジオdpの、U社長が芦屋から上京して見えました。U社長は、このブログや、「すきや連」のサイトを担当してくれている方です。また、「すきや連」の事務的なこともお手伝いいただけるので、私としては頼りにしています。

 打合せに使った部屋には、楊洲周延の「浅草公園遊覧之図」という開化絵がかけられていました。今は埋め立てられて無くなってしまった浅草の、「ひょうたん池」のほとりに茶店が立ち並び、着物に洋傘をさした美女が遊んでいる画です。背景には、当時「十二階」の通称で知られ、東京一の展望台だった、「凌雲閣」がそびえています。「凌雲閣」は、今ならさしずめ、東京スカイツリーのような存在で、随一の観光名所だったそうです。

 Uさんは、その画に興味を持たれたようで、「浅草公園ってどこですか?」というご質問。はい、では答えですが、明治6年に浅草寺の境内の相当部分と周辺が、「公園」に指定されたのです。現在の本堂・五重塔・伝法院だけではなくて、仲見世も、「花やしき」近辺も、「浅草演芸ホール」近辺も含む広大な敷地でした。

  Uさんは関西の方なので、ご存じないかもしれませんが、その昔、浅草のことを隠語で「エンコ」と言ったでしょう?「公園」をひっくり返して「エンコ」。「浅草へ遊びに行こう」と言うところを「エンコ行こうよ」と言ったわけです。

 周延の画に描かれた当時の様子なら、風情があって、たしかに「公園」という感じがするのですが、その後「凌雲閣」は関東大震災で倒れ、また「ひょうたん池」は埋め立てられてしまい、現在は、「浅草公園町会」という町会の名前に、その名残を留めています。自然と「エンコ行こうよ」とは言わなくなりました。

 と、いう話しをUさんにしたら、「その話し、絶対ブログに書くべきですよ!個人的に会話してるだけじゃ、もったいないですよ!」とおっしゃるので、書いてみました。

  なお、「ちんや」の所蔵している開化絵は、こちらでご覧いただけるのですが、今日書いた、「浅草公園遊覧之図」は新しく、手に入れたので、まだUPしておりません。悪しからず。是非、見に来て下さい。

  「え?意地悪してるんだろう?わざとUPしないんだな。住吉の性格悪いのは知っているぞ!」

⇒濡れ衣です!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます。浅草「ちんや」六代目、住吉史彦でした。

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