第四十回

第四十回記念「 台東薪能」を拝見しました。
「台東薪能」の主役は地元の能楽師・坂(ばん)真太郎さん。坂さんとは、台東区アートアドバイザーの仕事で10年ほどご一緒しています。
坂さんの御父上が「台東薪能」をスタートさせて、今回が四十回目。素晴らしいことですが、天候だけはあいにくでした。好天であれば会場は浅草寺境内の予定でしたが、雨模様になってしまったので、浅草公会堂へと変更となりました。
「台東薪能」では、地元鳶職の木遣りに先導されて、火が運ばれるのが他にはない特色で、屋外ならが当然本物の火を使いますが、公会堂の中で、そうは行きませんでした。
演目は『敦盛』『石橋』など、節目の回にふさわしく、古典的でシリアスなもの。格調たかく、堪能させていただきました。ありがとうございました。

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帝釈天

柴又の『川千家』さんを訪ねました。
『川千家』(かわちや)さんは、帝釈天の参道にある川魚料理(鯉、鰻)が自慢のお店です。ご創業は250年以上前の安永年間で、当代店主は十代目と聞きます。
なんでも、『川千家』さんが開業した頃、この近辺では料理屋の開業ラッシュがあったそうです。
1778年お寺の改築工事に着手したら、日蓮が自ら彫って、その後紛失していたという帝釈天像が発見され、それが世間の話題になって、参拝ブームが起きたとか。
その参拝客を当て込んで、近辺の農家が江戸川でとれる川魚料理を振る舞うようになったのだと言われています。最初は料理屋は農家の副業でした。
その柴又へ、私は浅草から京成電鉄を使って行きました。
先月京成の旧「博物館動物園」駅舎を使った映像インスタレーション展「大洲大作 未完の螺旋」を拝見した時、京成電鉄について少し調べましたが、京成は、実は成田へつながる前に最初に柴又につながっていたのです。今回その土地を訪ねることができて面白く感じました。
1912年に「京成電気軌道」は押上= 市川間を開業、支線として高砂=柴又間を開業させました。成田までつながったのは1926年のことでした。
京成というのは、帝釈天と新勝寺という、お寺を目指して開業した、とてもユニークな路線であることが分かります。京=柴と京=成だったのですね。
『川千家』さんが開業したのも、京成が開通したのも、帝釈天のおかげだったのです。
現代人には、その感覚が掴めませんが、美味しい料理が、この地にあるのは仏恩の賜物であることは間違いありません。

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デジタル回線

昨今は通信がデジタル化されましたので、電話の着信履歴で先方さんのお立場が分かることがあります。
先方の使っている回線がアナログだと何も表示されません。ご自宅の固定電話から発信した場合、そうなることが多いです。
一方お店の回線の場合、ネットを使えるようにしていることが多いので、たいていはデジタル回線で、その番号が表示されます。で、それを検索にかけてみると、料理屋さんであることが分かったりします。
すき焼き屋さんだったりもします。
横浜の「荒井屋牛鍋店」さんとは、この方法で知り合い、今では荒井さんは「すきや連」に毎回に参加して下さります。
もちろん、先方がウチの店においでの間は、部屋に押しかけたり、名刺を突き出したりはしないです。名乗らずに視察に見えているのに、そういうことをしたら不快に感じられるかもしれないからですね。
後日手紙を送ったり、こちらから名を名乗って食べに行ったり、というようにしています。
先日も、有名なすき焼き屋さんの方が見えました。お店のサイトを見たら、肉のこだわりのことが縷々書かれていて、私の趣味に、結構、近いです。
今のところ、お迎えして、お見送りしただけで、それ以上は話していませんが、いずれ御縁があったら良いなと思います。

東京プレスツアー

東京に駐在している外国人記者のために、東京プレスツアーを主催している団体の方が打ち合わせに見えました。
過去に、大田区町工場ツアーとか、練馬区の「都市型農業」ツアーとかを実施したそうですが、次回のツアーの一部に弊社を入れて下さるとか。在り難いことです。
そんな打ち合わせの後で、資料をパラパラ見ていて、私は驚きました。
東京に記者を置いている国が、とても偏っているのです。
そういう会社は、世界全体でおよそ150社ほどあるのですが、
その内、韓国・中国・イギリス・フランス・ドイツ・アメリカの6か国だけで、およそ100社なのです。その他の全ての国や地域を合計しても、6か国の半分にもならないそうです。中国に台湾・香港を加えれば、もっと寡占的になります。
中東からは4社だけで、その内の2社はトルコ。
南米からはブラジル2社、ペルー1社だけ。
たしかに今どきは、人を駐在させなくても情報は買えます。費用やリスクを避けようと思えば、こうなるのかもしれませんが、寂しい数字ですね。
それにしては観光客が結構、色んな地域から見えるのが不思議です。人が取材しない情報、つまり浅い情報だけでも集客できるって、なんだか変な気分です。

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支配人

月刊『浅草』に東洋興業会長・松倉久幸さんの「浅草六区芸能伝」が連載されていて、おもしろいです。
松倉さんは、2016年に刊行された拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で私が対談させていただいた、浅草の九人の旦那衆の一人ですが、その松倉さんの連載が、このところ『浅草』の巻頭に連載されているのです。
さて今月の「第21幕」は浅草オペラのことでした。
浅草オペラは1923(大正12)年の関東大震災によって「一瞬にして消滅してしまった」と言っても良いくらい、急に衰えました。全盛期には「ペラゴロ」(オペラごろつき)という熱狂的なファン=今で言えばアイドルの「追っかけ」のような人達がいたくらいですが、あっけないことでした。
ですので、昭和の戦争の後に創業した松倉さんの会社とは、あまり関係ないだろうと私は思ったのですが、この連載を読んで驚きました。浅草オペラのスターの一人・町田金嶺が歌手引退後、松倉さんの会社で支配人を務めていたというのです。
町田金嶺(きんれい、1900-82年)は田谷力三(たや・りきぞう、1899-1988)と同世代。町田も田谷も浅草オペラの源流というべき「赤坂ローヤル館」に入団し、「ローヤル館」閉館後は浅草に移り、原信子歌劇団、根岸歌劇団と行動を共にしました。
その金嶺が、引退後東洋興業に入社して、フランス座、ロック座などの支配人を務めたというのです。人格者で支配人になってからも人気者だったと言います。
このように浅草で流行るものは、オペラ、映画、レビュー、お笑いと変遷しましたが、人脈面では断絶していませんでした。東洋興業さん自体も、今は落語が主体ですが、以前は違いました。
そんな話しを知ることができる、面白い連載です。
『浅草』を購読ご希望の方は㈱東京宣商さんへ。TEL:03-5827-1962

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ライトアップ

あー、パラリンピックの色だったんですか・・・
夜のウオーキングのおりに私はその色をみつけ、おそらく浅草には関係ないコンセプトで彩色されているんだろうと思っていましたが、パラリンピックの色でしたか。
「浅草には関係ないコンセプトの彩色」とは駒形橋のライトアップの色の話しです。
赤・青・緑の三色で、それがパラリンピックの色なんですが、皆さん、ご存知でしたか?
ウオーキングしながら、なぜ、この色?和風の色ではないなあ、と私は不思議に思い、調べてやっと分かりました。
東京都のリリースによりますと、
東京都は「駒形橋」「厩橋」「蔵前橋」のライトアップを8月25日に開始、これは2020年8月25日に開幕する東京パラリンピック1年前に合わせての点灯開始でした。
今後も、2020年3月までに隅田川の10橋を、この色にするとか。
が、赤・青・緑がパラリンピックの色だと知らない人は、
なぜ、この色?
と思ってしまいます。橋の周囲に説明もないですし。
なんでもオリ・パラに関連させるのって、どうなんでしょうね。

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居合抜

山本普乃(ゆきの)さんの、10回目の三味線コンサート「粋と賑わい」を拝聴しました。
ゆきのさんは、お座敷唄などのくだけた曲から長唄も、さらには現代・オリジナル曲等、ジャンルにとらわれず、幅広く演奏と作曲活動なさっていますが、得意になさっているのは、お座敷唄=小唄、端唄、俗曲などの、宴席で唄われる気軽な曲です。そういう曲の方が細棹三味線の魅力が出易いということのようです。
そんな曲の内、今回は「浅草詣り」という俗曲が採り上げられていました。歌詞は・・・
浅草詣り 蔵前通れば 隅田の風に どんどこどんどこ
笛太鼓 国技館 横綱関取衆の晴れ姿
永井兵助居合抜・・・
「永井兵助」と聞いて、お恥ずかしいことに私も一瞬何のことか分からなかったのですが、これは、戦前まで浅草名物とされていた、テキ屋あるいは香具師(やし)のことでした。
居合抜は余興でして、それで通行人の耳目をひいて歯磨き粉を売ります。「長井」と書く場合もあるようです。車寅次郎が全国をまわっていたので、テキ屋というと全国をまわるものと思いがちですが、定住型のテキ屋もいたわけです。
浅草では戦後すぐまで香具師がいて、その時代を覚えている人にとっては、浅草の音というと香具師の声色を思い出す方もいますね。私の世代ではリアルには聞いていませんが、こういう形で土地の音の記憶の一つを、思い出すことが出来ました。

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粋と賑わい

山本普乃(ゆきの)さんの、10回目の三味線コンサートを拝聴しました。
ゆきのさんは、お座敷唄などのくだけた曲から長唄も、さらには現代・オリジナル曲等、ジャンルにとらわれず、幅広く演奏と作曲活動なさっています。「〇〇流っぽくない三味線」と言えば、分かり易いでしょうか。
今回は第10回記念とアルバム発売記念の演奏「粋と賑わい」でした。
会場はヤマハ銀座スタジオ。
同じビルの上階には、アコースティック楽器専用のヤマハ・ホールもあり、前回のコンサートはそちらでしたが、今回はあえてイベントスペースである「スタジオ」の方を使っていました。
天井の高い会場を使って、映像とのコラボレーションも。
古典の場合、歌詞を聞いても情景が目に浮かばない客が多いでしょうから、映像を見せるのは、上手い手だと思いました。

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酉の市マップ

え、もう、そんな季節ですか。気が早いですねえ。
猛残暑の最中だというのに、鷲神社の関係者の方から、今年の「酉の市マップ」の打ち合わせをしたいと連絡があって、驚きました。
「酉の市マップ」は浅草駅から鷲神社までの一帯の地図に、飲食店など参拝の帰りに立ち寄りたいスポットを入れたものです。「酉の市」の日程は「11月の酉の日」で一般人には分かりにくいので、日程を告知する意味も込めて毎年制作・配布されています。
「ちんや」も勿論スポットの一つに加えていただいています。
今年の「酉の市」は
一の酉は11月8日(金)
二の酉が11月20日(水)
ですから、まだまだ先のことですが、
今年は9月中に仕上げてしまい、印刷費にかかる消費税を8%にしたいんだとか。とほほ。
暑い中打ち合わせにお越し下さり、お疲れ様でした。

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ニッポンチ!②

小学館の文芸雑誌「qui-la-la」(きらら)で河治和香先生の新連載「ニッポンチ!」が始まりました。
和香先生が、「駒形どぜう」の三代目を主人公にした小説『どぜう屋助七』(2013年)にウチのご先祖を登場させて下さって以来、新しい連載が始まるのを楽しみにしておりますが、今回は明治の浮世絵師を主人公にした小説です。登場する絵師の作品がウチにあったりしますので、なおさら楽しみなことです。
登場するのは歌川国芳門下の絵師たち。国芳には歌川芳虎、芳艶、芳藤、落合芳幾、さらには月岡芳年、河鍋暁斎といった弟子がいましたが、国芳が幕府に逆らう位の人だったので、弟子達の性格も皆ユニークで。その人物描写もまた、この小説の面白いポイントだと思います。
連載2回目の9月号の中心になったのは、芳虎と芳藤でした。
芳藤はボンヤリしていて、よく迷子になったので、「藤ぼん」と呼ばれていました。「おもちゃ絵」「玩具絵」のジャンルで成功しました。
芳虎は喧嘩早く、喧嘩を解決するのに詫び証文が必要になることがあるので、事前に詫び証文を印刷して常時携帯していたとか。師匠・国芳と揉めて破門されてしまうので、国芳を記念する石碑に名が刻印されていません。
芳虎が成功したのは、武者絵、相撲絵、横浜絵で、「ちんや」では芳虎の横浜絵を一枚所有しています。
横浜絵とは、幕末に横浜に開かれた、外国人居留地の外国人を描いた作品です。外国人の風俗は、当時の日本人にとって新奇なものばかりで、人々の興味をそそり、それを受けて横浜の様子を描いた作品が、江戸の絵師たちによって、多数描かれました。
挑戦的な性格の芳虎が新しいものに向かって行ったのは、なんとなく、分かるような気がします。
今後の展開も楽しみです。

追伸
このブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日で九年六か月となりました。日頃のご愛読に心より感謝いたします。

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