支配人
月刊『浅草』に東洋興業会長・松倉久幸さんの「浅草六区芸能伝」が連載されていて、おもしろいです。
松倉さんは、2016年に刊行された拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で私が対談させていただいた、浅草の九人の旦那衆の一人ですが、その松倉さんの連載が、このところ『浅草』の巻頭に連載されているのです。
さて今月の「第21幕」は浅草オペラのことでした。
浅草オペラは1923(大正12)年の関東大震災によって「一瞬にして消滅してしまった」と言っても良いくらい、急に衰えました。全盛期には「ペラゴロ」(オペラごろつき)という熱狂的なファン=今で言えばアイドルの「追っかけ」のような人達がいたくらいですが、あっけないことでした。
ですので、昭和の戦争の後に創業した松倉さんの会社とは、あまり関係ないだろうと私は思ったのですが、この連載を読んで驚きました。浅草オペラのスターの一人・町田金嶺が歌手引退後、松倉さんの会社で支配人を務めていたというのです。
町田金嶺(きんれい、1900-82年)は田谷力三(たや・りきぞう、1899-1988)と同世代。町田も田谷も浅草オペラの源流というべき「赤坂ローヤル館」に入団し、「ローヤル館」閉館後は浅草に移り、原信子歌劇団、根岸歌劇団と行動を共にしました。
その金嶺が、引退後東洋興業に入社して、フランス座、ロック座などの支配人を務めたというのです。人格者で支配人になってからも人気者だったと言います。
このように浅草で流行るものは、オペラ、映画、レビュー、お笑いと変遷しましたが、人脈面では断絶していませんでした。東洋興業さん自体も、今は落語が主体ですが、以前は違いました。
そんな話しを知ることができる、面白い連載です。
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