お伽歌劇
昨日から「浅草オペラ」の話しをしています。
当時の演目は、まず本格的なオペラ。
有名なところでは『カルメン』『椿姫』『リゴレット』。リヒャルト・シュトラウスの、あのシリアスな『サロメ』を浅草でやったこともあるというから驚きます。
オペレッタも勿論演ります。例えばオッフェンバックの『天国と地獄』。古いCMで「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂!」というのがありましたが、あれは『天国と地獄』序曲の替え歌です。
その一方で、当時の日本人作曲家による新作で、今日ほとんど上演されない作品も上演されていましたが、その中に「お伽歌劇」と言われるジャンルがありました。日本の童話・民話などを題材にして、それに曲と芝居を付けたもので、小学校唱歌を舞台に上げたようなものだと思えばイメージできると思います。演じる格好は歌舞伎のような白塗りでした。
「タカラヅカ歌劇」がお好きな人は、「桃太郎」にもとづいた、お伽歌劇「ドンブラコ」をご存知だと思います。1914年(大正3年)宝塚新温泉に「宝塚少女歌劇」が初登場した時、最初に上演した演目が「ドンブラコ」だったからです。
昭和に入ってから「タカラヅカ」はフランス風のレビュー「モン・パリ」を成功させて、次第に「お伽歌劇」をやらなくなりますが、一番最初は「お伽歌劇」だったのです。
「浅草オペラ」のスターも「猿かに合戦」「武者会議」などを歌っていました。あの「ペラゴロ」達も全部洋楽では満足できず、このように「和もの」も観ていたと言いますから面白いことだと思います。
さて、ここで私は「浅草オペラ」と「タカラヅカ」を対比して書いています。
「浅草オペラ」は、ゴシップ・ジャーナリズムの波に飲み込まれて、「発展女優」が跋扈するようになって、数年で滅びてしまいました。
一方の「タカラヅカ」もほぼ同じ時期にスタートしましたが、創業100周年を迎えて隆盛です。タカラヅカ名物のラインダンスの衣装など、当時は結構刺激的に感じた筈ですが、「清く・正しく・美しく」、今日まで立派に続いています。
似たような演目を上演していて、衣装のエロさもさほど変わらなかったにも関わらず、結果は大違いとなりました。
「浅草オペラ」は、廃止になった帝国劇場洋劇部の残党が、オペラを諦め切れなくて始めたもの。
「タカラヅカ」は、宝塚新温泉へ集客する為の「客寄せ」。
あれ?最初は浅草の方が真面目? しかし結果は逆でした。
逆になった理由は、小林一三という経営者に恵まれたかどうかだと私は考えます。
一三翁は「タカラヅカ」を進化させるため、講師を招聘したり、海外視察に行かせたり、投資を惜しみませんでした。またタカラジェンヌ達を、親身になって面倒をみました。
浅草の興行主は一三翁の逆。流行に酔ってクオリティーは後まわし。売れなくなった浅草女優達の末路は哀れでした。
これは大きな教訓だと思います。
追伸
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浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。
東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。
四六判240頁
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978-4-7949-6920-0 C0095
2016年2月25日発売
株式会社晶文社 刊行
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