西南戦争

「すきや連」で熊本に行った際、市内の書店で熊本商工会議所が作成した、

「熊本観光文化検定 公式テキストブック」を購入しました。

最近各地の自治体が、こうした検定テキストを作っていて、帰りの機中の暇つぶしに最適です。

めくってみますると、西南戦争に関するページが多いことに気づきます。

そうでした!西南戦争はほとんど熊本県内で戦われたのでした。

念のため確認しますと、西南戦争は1877年(明治10年)に、薩摩の西郷隆盛を盟主にして起こった士族の反乱です。で、西郷が鹿児島を出てから最初に新政府側と激突した地が熊本でした。新政府側は、加藤清正が建てた熊本城にたてこもり、西郷軍がそれを包囲して、激戦が行われました。

やがて新政府側は熊本城を救出するべく、北方から乃木希典らが進軍して来ますが、それを迎え撃つ西郷軍と激戦が行われたのは、熊本城から北へ数キロ行った所でした。西郷が清正の名城を相手に苦戦している間に、新政府側がすばやく熊本県まで南下してきたのです。

戦いが最も激しく、双方が撃った銃弾が空中で衝突して「かちあい弾」が出来たという田原坂(たばるざか)も現在は熊本市に入っています。

結局西郷軍は熊本城を落とすことが出来ず、次第に劣勢となって鹿児島へ向け撤退して行きますが、その間にも人吉など熊本県内で激しい戦いがありました。

西郷は東京まで進軍する積りだったのですが、熊本に引っかかってしまった、という感じでしょう。熊本の人たちから見たら、こんな迷惑な話しはありませんが、熊本の士族の中には西郷軍に協力した者も大勢いたと言いますから、不思議なことです。

さてさて、この戦いに際して、新政府側は、皇族の有栖川宮熾仁親王を「鹿児島県逆徒征討総督」に任命しました。

そして、その熾仁親王の賄い方として熊本へやって来たのが、今回「すきや連」を開催した店「加茂川」さんの創業者でした。熊本なのに「加茂川」なのは、創業者が京都から来たからなのです。

料理内容は、当時ブームだった牛鍋。

それが今日まで伝えらえていると言いますから、すき焼きの歴史は全く面白いです。

震災から半年、熊本を訪ねましたら、お城は傷だらけ、倒壊した民家がまだたくさん残っていて大変な状況でしたが、そん中でも「加茂川」さんが元気に営業しておいでなことに、逆にパワーをいただきました。

今回は本当に在り難うございました。

 

追伸①

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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.451連続更新を達成しました。

Filed under: すきや連,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)