不忍池

国際観光日本レストラン協会の暑気払いが、上野・不忍池畔の「伊豆栄」さんで開催されました。

配られた資料を読んでおりますと、「伊豆栄」さんが創業なさった290年前(江戸中期)には、不忍池でも鰻が獲れたと言います。それで、鰻屋を創めたとか。

そもそも不忍池は、縄文時代には石神井川が東京湾に流れ込む入り江でした。しかし石神井川は、ある時からルートが変わって隅田川に合流するようになり、不忍池湾?に流れ込む水が減ってしまいました。やがて海岸線が後退して行って、取り残されてしまったのが不忍池です。紀元数世紀頃に池になったと考えられているのだそうな。

その後も、明治時代に現在の形に成るまで、つまり江戸中期でも小さい川が流れ込んでいて、湿気の多い土地だったと言いますから、鰻が美味いわけです。

さて、その不忍池が現在の形に成ったのは、1884年。

「共同競馬会社」が競馬場を建設するために埋め立てたのです。競馬場は、池を周回する形で作られ、明治天皇が臨席して第1回の競走が行われました。

競馬場建設は国策とも言って良い事業でした。明治政府は軍馬改良の為に、競馬を奨励していて、明治天皇も好んで競馬会に行幸されたのです。優秀馬には「帝室御章典」が授与されまして、「帝室御章典」は今日中央競馬で春秋開催される「天皇賞」のルーツなのです。

その1884年の天覧競馬会の様子を描いた開化絵『上野不忍大競馬之図』を、実は「ちんや」が所有しておりまして、こちらで画像を公開しています。

おって、話しがチト逸れましたが、このように国策競馬で不忍池が埋め立てられるまで、この辺りは鰻が獲れる土地柄で、それで今でも鰻の名店が在る、という次第です、東西東西。

それにしてもですよ、今回の暑気払いは、なんでランチタイムなんだ?!

昼の暑気払いなんて、聞いたことないぞ。

終わって、酔っぱらって、外へ出たら、未だ暑いじゃないか!

来年は夜にして下さい、お願いします。

追伸

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株式会社晶文社 刊行

 

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