著者に会いたい
雑誌『サライ』7月号(通巻614号)の「著者に会いたい」のコーナーに、拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』が載りました。
ライターの鳥海美奈子さん、ありがとうございました。
発売直後の原稿ですので、ここに全文転載するわけには行きませんが、一部をここに載せまして、最後まで読みたい方は『サライ』をお買い上げいただければ、と存じます。では、どうぞ。
<以下転載(私が話した体裁になっています)>
「老舗店の店主たちが対談で明かす浅草の戦後70年史」
私は、浅草で130 年続くすきやき屋『ちんや』の店主です。戦後70年を節目に、昭和の浅草をくぐり抜けてきた重鎮たちに話を聞き、浅草史をまとめてみたい。そう考えて、9人の老舗店の主人との対談集を上梓しました。
浅草は江戸の「天保の改革」以降に全盛期を迎えましたが、関東大震災と東京大空襲で二度の焼け野原を経験します。その後、町並や寺院を再建したものの、すんなり復興を遂げることはできませんでした。1970年代には時流に合わないと、町が廃れかかったこともあった。なかでも和装業や六区の興行は深刻で、私が幼い頃の浅草にはうらぶれた雰囲気が漂っていたのです。しかし近年は外国人観光客やスカイツリーの恩恵により、賑わいを取り戻しています。
そういう困難な時代をも乗り越え、暖簾を守り続けてきた店にはどんな魅力があるのか。渥美清やビートたけしを育んだ「浅草フランス座」の経営者・松倉久幸さんは、「浅草には、どん底の人間を立ち上がらせる生命力がある」と話します。洋食『ヨシカミ』の熊澤永行さんは「華やかな浅草を知っているから、町をなんとかしなければだらしがない」と語ります。昨今、「だらしがない」という言葉を使う人は少ないのではないでしょうか。
さらには、江戸趣味玩具の『助六』、和装履物の『辻屋本店』、江戸前鮨の『弁天山美家古寿司』、どじょうのみを扱う『駒形どぜう』など、経営が苦しい時も余計なことはせず、筋の通った商売をやり続けてきたのも特徴です。
よく銀座や日本橋との違いは何かと聞かれます。この街の長所は・・・
<この続きを読みたい方は『サライ』7月号をご購入願います>
追伸、
拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』
浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。
東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。
四六判240頁
価格:本体1600円+税
978-4-7949-6920-0 C0095
2016年2月25日発売
株式会社晶文社 刊行
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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.298連続更新を達成しました。