今昔すき焼き噺②

雑誌『味覚春秋』の6月号(通巻519号)に向笠千恵子先生が、

「今昔すき焼き噺―浅草ちんや会長・住吉滋夫さん」と題して私の父のことを書いて下さいました。誠にありがとうございます。

発売直後の原稿ですので、ここに全文転載するわけには行きませんが、一部をここに載せまして、最後まで読みたい方は『味覚春秋』をお買い上げいただければ、と存じます。では、どうぞ。今日は、その2回目です。

<以下転載、昨日から続く>

・・・さて、六代目の住吉史彦さんは地元老舗九軒の旦那、女将にインタビューした『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』(晶文社)という本を最近出されたが、シャイなことに父と店には言及なし。そこで、わたしが五代目に聞こうと押しかけた。

「江戸時代は犬の狆(チン)を商っていまして、それが屋号の由来。明治13年から料理屋になり、やがて明治36年からすき焼き専門に。当初は牛のほか軍鶏のすき焼きもやっていました。すき焼きは前衛料理でしたから、時代の先を読んでいたともいえますが、家訓は、借金するな、儲けすぎるな、ですから、じつは商売下手なんですよ」

横浜の味噌仕立てから始まって東京に伝播した牛鍋は、醤油、砂糖の和風甘辛味が受け、明治5年の肉食解禁を追い風にして下町で大繁盛した。その様子は仮名垣魯文著・河鍋暁斎挿絵の『安愚楽鍋』に闊達に描かれている。とくに浅草は観音様と吉原があるうえ、市が年中立つ。こんな土地柄に、最新流行のメニューで、うまくて、安くて、リキのつく牛鍋はぴたりとはまり、すき焼きへと進化しながら庶民のごちそうとして定着したのである。

なかでも「ちんや」は、二人前の注文につき一人前は鍋盛り、もう一人前は皿盛りにしたのが喜ばれ、肉はロースと称する上と、並だけというシンプルな品書をもうけた。夏は・・・

<・・・この続きは、明日の弊ブログで>

追伸、

拙著が発売になりました。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

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