浅草海苔の危機

 絶滅寸前だった、アサクサノリを復活させた人に会いました。

 まず浅草海苔の由来から申しますが、その名の通り、江戸時代に海苔の養殖が始まった頃、浅草あたりでも海苔が採れていたので、この名がついた、と言われています。

 その後、明治時代になり、日本でも西洋式の生物分類学の研究が始まり、「日本の海藻学の祖」と呼ばれる学者さんが、当時養殖されていた「浅草海苔」を調べ、これが分類上の一つの種であることを確かめて、この種に「アサクサノリ」という学名を与えたそうです。

 そう、アサクサノリは品種の名でもあるのです。「千住葱」が品種の名でもあるのと似ていますね。

 さて、そのアサクサノリは、浅草近辺ではもうあまり育てられなくなったものの、全国各地で養殖されていました。

 ところが、第2次大戦後になると、増え続ける海苔需要に応えるべく、色や味が良く、成長も速く、収穫量も多いスサビノリという品種が養殖好適種として導入されました。国と業界が、スサビノリの生産を推奨したそうです。今、皆さんが食べているのは、ほとんど、これです。

 さらに、工業化でアサクサノリが棲むのに適した内湾の干潟などが埋め立てられ、アサクサノリはどんどん棲む場所を失っていきました。こうして、棲む場所を失い、養殖もされなくなったアサクサノリはどんどん減少していったそうです。

 で、1990年代には、海藻を研究者している学者さんの間でも、アサクサノリがどこに生えているのか知っている人がほとんどいない状況になってしまったそうです。「絶滅危惧種」にまで指定されました。

 「絶滅危惧」になったため、ようやく今世紀に入る直前に、水産庁と日本水産資源保護協会、千葉県立中央博物館分館「海の博物館」などが、アサクサノリの再調査に乗り出したそうです。

 全国各地を調べ歩き、アサクサノリに適した環境を調べ、種を保存し、そして、やがて千葉県木更津市の盤州干潟(ばんずひがた)でアサクサノリの養殖を復活させることに成功しました。

 盤州干潟は、東京湾に残った最後の大きい干潟です。そこで、今は約70人の漁師さんが、海苔の養殖に取り組んでいるそうです。

 今回お目にかかったのは、そんな中の御一人・金萬さんという方でした。アサクサノリの佃煮を生産している「遠忠食品」さんのパーテイーでお目にかかることができました。

 養殖をするだけでなく、干潟の貴重さを知ってもらおうと、「里海」観光にも力を入れておいでとかで、素晴らしいことです。

 トキやイリオモテヤマネコのように有名な生きものであれば注目されますが、目につきにくい生物は注目されることもなく、ひっそりと絶滅していくことがあるそうで、アサクサノリのように、名の知られた生きものですら、絶滅の危機が訪れていたのです。

 当時世にそのことを知る人は少なく、私自身もアサクサノリの危機のことを知りませんでした。恥ずかしいことです。

 でも、そんな絶滅危惧種の保存を志した、学者さんと漁師さんの力で、また環境浄化に協力した近隣の方々の力で、今私は「浅草海苔」を売ることが出来ます。

 思えば、品種の正式な学名に「浅草」と付いている食べものは、他に在りません。

 私は肉屋ですが、この品物は売って行こう、と考えています。以前の不明を少しでも雪ぐために。

追伸①

 『浅草 老舗旦那のランチ』という単行本に出していただきました。

 私が、「浅草演芸ホール」席亭さんや、「音のヨーロー堂」の御主人とランチしながら、浅草について対談する、という趣向です。
 私なんぞ、「旦那」というよりは、「お兄ちゃん」ですけどね、浅草では。

 ご購入はこちらです。

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は142人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて823日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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