東京天空樹
東京スカイツリー開業まで1週間です。
皆さんはスカイツリーっていう名前に、もう慣れましたか。
この名前を決める時、人気投票が上位だった、
大江戸タワー
新東京タワー
さくらタワー
のどれにも権利上の支障があって、選考は難航し、投票順が下位のスカイツリーに決まったとか、報道されていました。
「ジャックと豆の木」の、豆の木を連想させる名前だ、とかいう説明もありましたね。
で、私が「慣れたか」ですが、
慣れてま・せ・・ん。
この名前が公表された日の、
「・・・」という気持ちを、今でも鮮明に覚えています。
思えば、昔の塔の名前には雅趣がありました。
「通天閣」=天ニ通ズル楼閣
「凌雲閣」=雲ヲ凌グ楼閣
~ほら、いいでしょう。市場イヤ詩情があります。
私は、こういうのが好きです。昔の日本人は、皆漢詩を嗜んでいましたからねえ。
念のため解説しますと・・・
大阪新世界の「通天閣」は1912年に初代の塔が完成。二代目の塔が今でも健在ですね。ビリケン様で有名です。
その「通天閣」と浅草との間には、実は御縁があるそうです。「通天閣」の塔の側面には、現在日立製作所さんが非常に目立つ広告を出していますが、ここに広告を出す商談は、まず松下電器さんに行き、松下さんが断ったので、日立さんに回ったそうです。
当時、関西の大手家電メーカー(=松下さん・三洋さん・シャープさんなど)に対抗して関西に進出しようとしていた関東の日立さんと、資金調達のために長期に渡って広告を出してもらえる大手企業を探していた通天閣観光さんの思惑が合致した結果が、これだという話しです。
この広告のPR効果は絶大で、大阪でも日立さんの知名度は上がり、で、松下幸之助さんは、広告を断ったことを非常に後悔し、それで後に浅草寺に雷門の寄進を行なったと伝えられています。大阪新世界のリベンジを東京浅草で目論んだ、というわけです。面白いですね。
一方「凌雲閣」とは、1890年から関東大震災まで浅草にあった12階建ての塔のことです。当時帝都随一の眺望を誇り、全国から観光客が押し寄せたと聞きます。
その「凌雲閣」の高さはと申しますと、53メートル。53メートルでしかありませんでしたが、それでも名前は「雲ヲ凌グ閣」。
詩ですねえ。
聞けば、スカイツリーの中国語名は「東京晴空塔」だそうですが、中国語名だけでも変えたいですね、私なら。
東武さんが当初考えていた「東京天空樹」は、既に中国で権利を獲られていて×だったそうです。直訳がどうせ獲れなかったのなら、漢詩っぽく行ってみては如何かと思います。
宙ニ遊ブ塔とか、
月ニ映エル塔とか、
いやあ、ポエチック。いいねえ、我ながら。
追伸
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は111人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
参加者の方には、特典も!
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて807日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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