龍宮城

 10/5は火曜日で、店の定休日だったため、日中、家の風呂を掃除しましたが、その後、展覧会を見に出かけました。

 「猿之助歌舞伎の魅力」展が目黒雅叙園の、指定有形文化財「百段階段」を会場にして開催されているので、行ってきました。

 ヨメが元から「おもだか屋」ファンで、猿之助丈の舞台衣装や写真を見たがっておりましたし、「百段階段」自体も久しぶりに見てみたかったからです。今回は雅叙園の、ベテラン・ガイド氏の案内付き、というプログラムに参加しましたので、「百段階段」についてくわしく勉強できました。

 「百段階段」とは、細川力蔵によって昭和6年から18年にかけて建設され、「昭和の竜宮城」として有名だった、名建築の一部です。当事の工芸技術の粋を集めて建造された、豪華絢爛たる、夢のような建築です。ご存じの方もおいでと思います。

 現在では、そこで飲食することはできないようですが、展覧会場としては現役で使われていて、猿之助丈の、ケレンたっぷりの舞台衣装と不思議な調和を見せていました。

 それにしても、あらためて驚くのは、細川力蔵の、狂気の沙汰とも言いたくなる投資ぶりです。

 パンフレットによれば、目黒雅叙園は「昭和13年頃、式から披露宴、写真、美容を一環して行える日本初の総合結婚式場のシステムを考案し、女性達の憧れとなりました。」とありますが、昭和13年と言えば、日中の戦争が泥沼の様相を呈し、日米の開戦も視野に入ってきて、一気に日本全体が国家総動員体制に向かいつつあった頃です。

 そんなご時世に、こんなにバブリーな建物を建てるとは。しかも、建て増しを敗戦の前々年の、昭和18年まで続けているのです。

 ひええ、の一語です。

 そのような時代だったからこそ、銘木を安く買ったり、一級の職人を安く使ったりできたのだそうですが、なにしろまあ、大変な普請ぶりです。

 今現在も、大変な不景気ですから、細川のような男が現れれば、安めに素晴らしい建物が建てられるかもしれませんが、先立つものが無いと、最初から話しになりませんよね。

 先立つものが少々ある方で、一級の銘木が難しいようなら、一級のすき焼きでもお買い上げいただきたいと存じます。ご高配を。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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*「百段階段」については、こちらです。

Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)